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なぜだいたいの人が「印象派が好き」というのか

父にコラージュ作品を見せたら「印象派みたいな風景画かかないの?」といわれました。今回はなぜいろんな人が「印象派が好き」と言うか、について考えます。たぶんこのブログを読んでいる方の中にもいるかと思います。私も見飽きた感はありますが元々嫌いではありませんし、好きであることは悪いことではありません。しかしこの記事を読んだあと本当に好きか?と自分自身に聞いてみましょう。

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Claude Monet, "Waterlilies, Green Reflection, Left Part", 1916.

さて「○○が好き」というのはどういう意味なんでしょう。
私は「好き」イコール「慣れている」「理解できる」という風にとっています。例えば私は猫の柄で一番好きなのはキジトラです。それは小さい頃にキジトラ柄の猫を飼っていたからだと考えられます。また「母の味」がすばらしいと感じるのは母親の料理を食べる頻度が多いからで、生命維持のためか舌にある細胞が与えられた環境で与えらる食事を「好む」ように変化した、と考えています。「物体」そのものに好きになる要素が元々秘められるということは考えづらいです。実際人の好みはバラバラだからです。食べた事がないものを「好き」というのは不可能です。あまり馴染みがない海外の料理がはじめ「変」だと感じるのは、まだ舌がそういった味に慣れていないから。海外の人が我慢してそれを食べているのではなくて、海外の人も生きるために現地で採れるものを好むように舌と考えが変化したと考えられます。「ウニ」や「ビール」は大人の味と言われますが、大人になったから好きになるのではなく、慣れたから好きになります。

「印象派の絵が好き」というのは日本に印象派の展覧会が頻繁に来る事と、小さい頃から抽象的な絵より写実的な絵、ぐちゃぐちゃなものより技術があり「きれい」なものを好むように教科書なり、メディアなり、親なりに教育されて慣れてきたからだと思います。はじめから「きれい」なものがすばらしいものだと生物学的にインプットされていると私は思いません。国や時代によって美意識がだいぶ違うことがそれを証明していると思います。たしかに印象派は好きになりやすい要素をたくさんもっています。モネの色彩感覚は相当優れていると思いますし、タッチが繊細です。モチーフも女性だったら花だったり、きれないものを選びます。「きれい」だと思う物にはある程度生物学的理由があるかもしれません。でも「きれい」=「すばらしい」「好き」というものは社会によって決められることが大きいと思います。印象派の絵も発表当時は「下書き」だといわれ見下されました。ゴッホは生きている間一度も絵を売った事がありません。今ではこんなに賞賛されるのにもかかわらず。それはその当時の価値観が「ていねい、技術」=すばらしい が一般だったからです。

前の「リアル」な絵画についてかいた記事にもかきましたが、なぜ何千年もあったのに古代エジプトの壁画はいつまでも「リアル」にならなかったのか。なぜ江戸の人は浮世絵でエロ妄想ができるのか。なぜ一昔の漫画の絵が「古い」と感じてしまうのか。美大の受験生がたった2年くらいで写実的に絵がかけるのに、過去に死んでいった江戸時代の人や古代エジプトの人が何億もいるのに、その中に一人も今の受験生程度の「才能」を持つ人がいなかったと考えるのはあまりに不自然です。ということは現代は「写実」というスタイルが慣れ親しまれたトレンドになっていて、そのうちそのスタイルも「古い」「技術不足」だと感じる日が来るかもしれません。

数学が嫌いな人は数学ができないひと、理解が難しいと感じる人です。得意な人ほど「好き」だと感じます。現代美術も「わからない」と感じてしまうと「嫌い」になってしまいます。現代アートも学問と同じようにある程度の知識やわかろうとする気持ちが必要です。また、好きなものは慣れたもの、わかるもの、を逆に考えると慣れればほとんどのものが好きになれるという風にも考えられます。

慣れている物を好きでもいいと思います。でもなんとなく社会決められたものを好きになるってくやしいじゃない?(^^) ここまで読んで本当に印象派が好きだといえますか?慣れているものを好きだと思っていませんか?嫌いな物を好きになるチャンスを与えていますか?私はいろんな作品を見て理解した上ではじめて自分の好みを発見できると思います。

最後に、現代アートは「ゴミ」「嫌い」と決めつける人もいますがその人たちにいいたい、現代アートを分かろうとしたことがあったか?と。一部のアートを見て決め付けてはいないかと?音楽、舞台、映画、文章、アニメ、漫画、今までに何億も作られています。99%はゴミでしょう。人に「好き」だと思われるのはわずか1%。現代アートも同じように99%がゴミです。私も作品はそれなりの量は見てきましたが、作家の名前まで覚えているのはほんの少しです。99%の一部をみて学問の分野を全体を否定するのはちょっと早とちりじゃないかなぁって思います。気持ちは分かります!私も理解できなかったときは嫌いでした。見えること=理解できるはず という固定概念があるのかわかりませんが、他の分野に比べて現代アートは嫌われやすいですよね。音楽で嫌いな曲があっても「音楽嫌い!史ね!」と存在まで否定する人はなかなかいませんし、ただ好みにあわなかった、って思う人がほとんどでしょう。現代アートもいつかそういう風に思われるようになったらいいなぁ。

関係ありませんが、来週卒業展覧会です。卒展にのせる作品一部もサイトにアップしたので、よかったらみていって下さい。いつか日本で展覧会したいなぁ〜。
http://saorimoriizumi.com

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Gerhard Richter リヒター

こんにちわ。
お久しぶりですね。就職活動がうまくいってません。誰か雇っtいやなんでもない。
今日はGerhard Richter(以後リヒターと呼ぶ)について書こうと思います。
質問者さんありがとうございました!

忠告します。この質問を受けるまでリヒターはそこまで興味を持ってみた事がないですw
でも、日本ではあまり有名ではない彼ですが、実は今生きている画家で最も重要な人物の一人と言わています。というわけで今回は少しでも彼がすばらしいと言われる理由を考えようという内容の記事になります。

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Gerhard Richter, "Nude on a Staircase", 1966.

リヒターといえば、まるで写真のような描写とぼかしが有名です。細かく書き込んだ後、シルクスクリーンのインクを伸ばすときに使用するスクィージーでぼかします。リヒターの描写力はすごいです。とにかく迷いがないというか、塗り重ねた跡もそんなにありませんし、苦戦したりまちがえた跡がありません。
私がリヒターにそこまで興味が持てなかった理由は、目新しさがないからです。どうも上の作品を見ているとフォトショのフィルタ処理されていた画像や高画質デジカメの写真で作れてしまうのではないか、って思ってしまうんですよね〜。またリヒターの絵の具の載せ方はほとんど筆後や絵の具の質感を残しません。私も質問者さんのようになぜ、油絵にする必要があるのかということが疑問でした。

これはジェネレーションギャップとでも言うのでしょうか。よく考えるとリヒターがこういった作品を作りはじめていたのは1960年代はじめです。この頃にフォトショはありませんし、今のような高画質なカメラや映像もありません。発表当時はリヒターのスタイルは今のような見飽きた感はなかったはずです。フォトショの発明がアートを見る上で与えた影響力は絶大だと思いますね〜。絵画を見て、これフォトショの○○フィルタを使ったっぽいとか思った事ありません?「ポストフォトショ」って単語はやりませんかね?(^^)

リヒターが作品を発表していたのははポップアート、抽象表現主義、ミニマリズムが絶好調のころです。抽象画以外を書くなんて古い!と思われていた時代ということも頭に入れておく必要もあるかもしれません。

だけれども、それだけでは今でもすばらしいと言われる理由にはならないはずです。彼がすばらしいとよく耳にするのは、「絵画は死んだ」と言われた時代に幅広い表現をしてきたこと。(絵画は死んだ、は何度もいわれています。写真が発明されたときなど、何千年も歴史があるアートの分野なので新しい物を作る事は不可能、表現の限界を感じた時にいわれます。でも対外油絵を描いていない人が言うので、たぶん大丈夫ですw)

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Gerhard Richter, "Reader", 1994

絵画の歴史の中でポートレートは相当古いです。現代でもアートとして成り立たせるのは相当難しい。どうしても商業用にみえてしまいます。リヒターは昔ながらのポートレートの歴史を重んじながら、女性の付けているアクセサリーだったり、持っている新聞(?)や光の感じ、筆後を残さないことで、とても現代的な物に復活させています。
歴史的なポートレートの例↓
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Jacob Adriaensz Backer,"Portrait of A Young Woman", 17th century
どうしても時代を感じてしまう。今でもポートレートを注文する人はいますが、多くの場合何故か17世紀から19世紀くらいの古い画風で書かれますね。そっちのほうがすごそうな感じがするのでしょうかね?


私が今回リヒターについて考えて最も面白いと思った点は、ずばり「なぜ写真じゃなくて絵画なのか」という疑問を真っ向からぶつけてくるところなような気がします。
写真を資料に使うアーティストはたくさんいると思います。ですがほとんどの場合、写真からかいたことは隠そうとします。彼の「ぼかし」は写真のピントが合わなかったときの機械的な「ぼかし」と絵の具らしい「ぼかし」を同時に連想させます。そのあいまいさおもしろいんじゃないかな?

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Gerhard Richter, "Untitled", 1992
こちらは写真の上に油絵をのせた作品。たしかに魅力的で写真と絵画の隔たりをあいまいにしている点で、おもしろい気もするんだけど、、、!だけど、、、!ちょっと「私にもできそう」感が若干ありすぎるような、、、好きか好きじゃないかちょっと迷います。

リヒターの絵画はなぜか、絵画を見ながら写真に付いて考えさせるところが面白いんじゃないでしょうか。今回紹介したぼかしシリーズ意外に完全に抽象的な油絵や、自分の娘を題材にしたもの、ニュースの新聞記事など、リヒターの作品数はものすごいです。
ウェブサイトも充実しているので興味を持った人は見てみて下さい。
http://www.gerhard-richter.com/


質問者さんご質問有り難うございました。そして遅くなってしまってすみませんでした。私も前々からなんでリヒターはそんなに有名なんだろうかってよくわからなかったので、私なりの答えを出してみたのですが大変曖昧なものになってしまったかもしれませんwやっぱり私はもっと質感がある油絵の方が好きだなぁw
リヒター大好きだぁああ!っていう人がいらっしゃいましたらぜひコメント欄に彼のすばらしさに付いて語って下さい(^^)
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あけました

あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。
こんなに更新がないブログに関わらずちょくちょく見てくれる人がいたり、最近の記事だけでなく上げてから2年以上立っている記事にも未だに拍手を押してくれる人がいるみたいで、とても嬉しいです。このまえデュシャンの便器の記事がついに60拍手いきました。やっぱり便器がなぜアートになるかみんな疑問ですよね^^;
薄々感じていると思いますが、近頃ネタ切れぎみです(^^)もしアートで疑問に思う事があれば拍手かコメントにぜひ書いて下さい。絶対答えられると言えませんが一緒に考えますwこのアーティストおもしろいよーとかこれ読んだー?とかも喜びます。今考えてるのはアメリカの美大やら美術教育についてちょっと書こうかなって思っているくらいです。

今日は好きな短編アニメーションをちょこっと紹介。アニメーションの表現の方法は無限大。ストップモーションでも、3Dでも、手書きでも、どんなに質感があるものでも最後は平面として画面に現れる不思議。時間と物理法則をコントロールできる事も魅力的!絵が動くことは改めて考えると不思議なことですし、惹きつけられるものがあります(^^)。

おねがい なにかいって [日本語版] from David OReilly on Vimeo
Translation by Nobuaki Doi


この方は主に3dアニメーションの作家です。すごくファンタジックなスタイルなのに描かれるストーリーは妙に現実的だったり、社会風刺みたいなものばかりでダークな笑いを誘います。上の作品はたまたま日本語字幕付きのがアップされていたので選びました。この方は日本文化にも影響を受けているみたいで、他のアニメでは可愛い文化、日本人の猫好き、自殺、ピカチュウもどきも出てきます。注意すべき点は、彼の作品のなかには子供に見せてはいけない表現がたくさんありますw。また作品自体がアニメである事をネタにしたります。たとえばExternal Worldという作品では、子供がネットでアニメを見ていて、母親が「これは子供に悪影響じゃない?」という問いに対して父親が「いや、これはアニメだから現実の人に影響与えないよ」という場面があります。まぁなんというか私この作家が大ファンですv
また3Dアニメーションらしいスタイルなのもすばらしい。一般の3Dアニメーション(アバターとか)ってなぜか「リアル」にしようとする傾向があると思うのです。でも実写でできることをなんでそんな大金かけているのか疑問に思う事があります(^^)この方の作品は手書きアニメーションでもできない、実写でもできない、3Dだけが表現できる世界をつくっています。


Raimund Krumme, "Seilta"(1986)
この方はアニメーションが平面であるということを盛大に利用してアニメーションをつくっています。スタイルは非常にシンプルです。画面のほとんどが白。だからこそ視聴者に空白を想像で補わせることで、視覚の遊びが生まれます。あるとき四角は床になり、あるときは物体になり、あるときは窓になり、あるときは壁になり、あるときは穴になります。私の作る物はゴチャゴチャしたものになりがちなのですが、この人の作品を見ると、手書きアニメーションという古典的(悪い意味じゃなく)技法を使って、色もほとんど使わず、ほとんど線だけでこんなに表現豊かな作品が作れるんだ、って思い、いろいろ考え直させられます。


Amanda Forbis & Wendy Tilby, "When the day Breaks"(1999)
3つ目のアニメはちょっと変わった技法を使っています。くわしくは分からないのですが、実写でまずビデオをつくり、それを写真にしてそのうえからえんぴつや絵の具でかいていくようです。だから作風がものすごく絵本っぽいのに、ときどき人の動きが妙にリアルだったりします。ストーリーを簡単に説明すると、ごく普通に生活を送っていた豚ちゃんがあるときスーパーにレモンを買いにいった時、店から出てくるニワトリにぶつかってしまい、その直後にそのにわとりは交通事故にあってしまいます。ストーリーはすごくシンプルで、作中にキャラクターがしゃべることがないにもかかわらず、ひとつひとつのシーンの連続だけですごくリアルな感情が描かれています。別にニワトリが事故にあったのは豚ちゃんのせいじゃないのに、なんとなく罪悪感を感じたり、自分は悪くないって分かっているけど、でもやっぱりあのときぶつかっていなければ事故にあわなかったかもしれないとか、そもそもあのときレモンを買いにいかなければとか、もうちょっと早く家を出ていればあの事故をみずにすんで自分はいままで通り普通に生活できたのに、、とかね。あるある(^^)すべての現実が偶然と偶然の積み重ねでできあがっているのかもしれませんね。


Jan Svankmajer "Meat Love" (1989)
日本でも長編アニメ「アリス」で有名な作家さんの短編ストップモーションアニメ。肉なのに!肉なのに!なんかかわいい!いちゃいちゃしてる!そしてエロい!最後の落ちも最高です。


Ladislaw Starewicz "The Cameraman's Revenge" (1912)
最後は変態さん。まぁいままでの作家さん達も、アニメという超絶に手間がかかることを好んでやっているという意味ではみんな変態です。でもこの作家さんはいろんな意味でもっと変態です。この作家は虫が好きだったらしく死骸にワイヤをつけて、アニメを作りました。虫の死骸なんてそんな小さくすぐ壊れてしまいそうなものを動かそうと思ったの?!とまずそこに驚きます。しかもストーリーが100年前に作られたと思えないほど、斬新ですw。一見普通に見えるビートル夫婦。夫がバーに出かけるところからはじまります。そのバーの名前は「ゲイドラゴンフライ」ゲイバーですw「そこのダンサーたちはみんな夫を理解してくれました。」(ナレーション)ショーが終わった後、ダンサーのトンボに観客のバッタがアプローチをかけてますが、それを夫が奪ってしまいます。そのあと夫とトンボ(♂)はラブホにいくのですが、腹を立てたバッタが奥さんに告げ口をするために2人の後をつけ、ビデオを撮影します。夫が家に帰ると奥さんと画家の浮気現場にでくわしてしまい、夫は画家が奥さんのためにかいた絵を奥さんの頭にぶつけてやぶるなどをして腹を立てます。「でも夫はやさしいので奥さんを許してあげます」(ナレーション)仲直りの印に夫婦は映画館にいきます。その映画とはバッタが撮影した夫とトンボの浮気現場でした。奥さん怒ります。夫はバッタに怒ります。最後は映画館が火事になっておわりです。
なぜこのストーリーを虫でやろうと思った!!!
よくわからないけど、時代的に虫だから許されたストーリーってのこともあるかもしれませんね。

今年もよろしくおねがいします!あれ、これ最初に言ったかな
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著作権とオリジナリティ

「著作権の侵害」「○○のパクリ」という理由でアートが批判されたりすることを目にします。今日は著作権とアートについてあえて怒られそうな角度から見てみようと思います。法律だからって絶対守らなきゃいけないのか?っていうことについて一緒に考えてみましょ、、(^^)といっても法律を勉強している訳ではないので、おおざっぱな著作権の概念的(?)な話になります。

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Left: Robert Raueschenberg,"Factum I"(1957);Right: Robert Rauschenberg, "Factum II"(1957)
オリジナルってなに?コピーってなに?違いはあるの?手書きだとオリジナルになるの?写真や新聞の切り抜きをコラージュしたけど、この作品完全にオリジナルといえる?ラウシェンバーグの作品


そもそも著作権とは何か:
言語、音楽、絵画、建築、図形、映画、写真、コンピュータプログラムなどの表現形式によって自らの思想・感情を創作的に表現した者に認められる、それらの創作物の利用を支配することを目的とする権利をいう。著作権は特許権や商標権にならぶ知的財産権の一つとして位置づけられている。
(ウィキペディアより)

この「自らの思想」「創作的に表現」とは何でしょう。「オリジナリティ」だとか「個性」とか「才能」などにおきかえられるかもしれません。今回考えてみたいのは自らの思想や表現とはなんだろうか?他人に全く影響されない完全にオリジナルの考えや表現というものは存在するのでしょうか?(生まれたときから一人でそのあと一生ひきこもらない限り無理じゃない、、?)

こういう経験ないですか。昔誰かが言っていた事がいつのまにか自分のアイデアになっている。たとえば小学校の先生が言っていたいい言葉に感動していつのまにか自分の考えになっている。そしてそのことばをまた将来自分が先生になった時に生徒に伝える。
考えや好みは親、友達、周りの人、育った環境、メディア、歴史、教科書などいろんなことで形成されていくものだと思います。そう考えると著作権という概念は創作性そのものを妨げている物かもしれない、、、という疑問が出てくるかもしれません。
日本で盛んな二次創作や同人活動。よくグレーゾーンといわれてますね。みんなで盛り上げるから原作も楽しくなりませんか?また日本ではニコニコ動画という動画サイトがあります。Youtube とのおおきな違いは、人が残したコメントが画面に中に流れる事です。字幕職人がいたり適切な突っ込みをいれる視聴者のコメントがあったりして、動画投稿者だけではなくみんなでおもしろい動画を作っているという感じがあると思うんですよね〜

アートを作る時、好きな作家の作品を見ます。私だったらこうする!もっとよくできる!と思うことがあります。まるまるパクっては意味はありません。でも面白いものをさらにおもしろくしようとすること、そういうのがどんどん重なっておもしろい作品ってできあがるんじゃないかなぁって思います。一つの作品を「一人」で作り上げたとしても、それは過去の見てきた作品や経験のコラボの産物だと思えたりします。

著作権は概念であり事実として存在している訳ではない。そんな内容の本を読みました。
はじめて著作権法律ができたのはイギリス1709年。 Statute of Anne という法律ができました。このころの著作権は主に「文章」を守るためのものです。この法律ができるまでStationers' Company(書籍出版業組合)がイギリスの印刷業社(はじめは手写し)を独占していました。しかし 印刷技術の発展により組合を通さずに各地で勝手に本が印刷される事態がおこるようになりました。
組合の利益を守るため政府に働きかけてできたのが「著作権」よいう法律だったようです。つまりはじまりは作家の権利を守るためではなく組合を守るために作られたんですね〜。
その法律ができてしまうと作家は自分の創作物を広めるためにはどうしても権利を売らなくてはいけなくなりました。

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Caspar David Friedrich, "The wanderer above the sea of fog", 1817
ロマン主義の絵画の例、人が自然に圧倒されている様が描かれている。

この法律が出来上がった頃、ロマン主義の思想がはやっていました。ロマン主義は啓蒙時代Enlightenmentの反発運動のような物です。啓蒙主義は「聖書や神学といった従来の権威を離れ、理性(悟性)による知によって世界を把握しようとする思想運動。」(ウィキペディアより)。ロマン主義は簡単に言うと個人の感情や経験を大切にする運動です。この思想が広まり文章や絵画は作家の「天才」や「才能」によって作られるという考えが広まっていきます。

それまでは作家は天才や才能のある人、ではなく「職人」と同じように考えられていたようです。「文章」は、過去のルールを継承し組み直したものと考えられていて、すぐれた作家は技術を巧妙に使いこなせる人物だと思われていたのです。スポーツ選手と似た感じかな?著作権という概念の形成がロマン主義の「オリジナリティ」「個人の表現」の主張という思想とうまくマッチしてしまい、今ではあたりまえのように作品は作家個人の「才能」だったり「オリジナリティ」からきているという考えが浸透しています。

かなりはしょっているのでもっと読みたい人はこちらをどうぞ。英語です Peter Jaszi, Towards a Theory of Copyright: The Metamorphoses of Copyright


というわけで著作権という概念ができたのはここ数百年、日本では明治初期にとりいれられたようです。今ではその存在に疑問をもつ人が少ないでしょう。著作権にはもちろん利点はあります。でも売り買いできるからこそ問題点もあります。たとえばある脚本家がワーナーに脚本の権利を売りました。しかしワーナーはその脚本で映画を作りませんでした。ある脚本家はもうその脚本の権利を所有していないので他の映画会社に持ち込むことができません。ワーナーがまたその脚本の権利を売らない限りほとんどの人の目に触れず埋もれてしまうのです。これはアメリカの話です。日本の著作権の法律はもう少し作家に優しいイメージがありますが、詳しくは知りません。知っている人がいたら教えて下さい。

いいものを作っている人はもちろん認められて創作を続けられるようにお金を支払われないといけないと思います。じゃないとなくなってしまいますから!インターネットでゲーム、音楽、映画がどんどん「違法」DLしていくなか著作権はこれからどう時代に対応していくのか気になります(^^)

というわけで今回の記事で何がいいたかったかというと違法だからだめなアートという批評の仕方に個人的に違和感を感じる、という話でした。「自らの思想、感情の表現」というものがあいまいで明確な判断基準がない物を守る「著作権」をただやみくもに守るべきなのでしょうか?一人で作品を作った気でいても、それは過去にいろんな経験をし、いろんな作品や人と交流があったからこそできあがった作品だと私は思います。またみんなで作るからよりすばらしいものができることもあると思います。

ですが著作権を扱っているアートならば法律を破るだけではたぶん見る人は納得がいきません。改めて著作権とは何かと考えさせられるかどうか、が評価の基準になると思います。むずかしいですね!

次は軽い内容にします!しばらく更新しなかったけどそれでも拍手押してくれた方、コメントくれた方、ありがとうございます。 ランキングクリックお願いします↓
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最近はまってるアーティスト

ツィッターがつづきそうにないのにやめました。せっかくフォローしていただいた方には申し訳ないです。かわり(?)にザ・インタービューズというのに登録してみました。これはなにかというと登録するといろんな人に質問して答えてもらうシステムです。気軽に突拍子もない事を何でも聞けて楽しそうです。そちらでアカウント持っている方ぜひ仲良くして下さい。http://theinterviews.jp/saboritai/interview

最近おもしろいと思ったアーティストを3人くらいいるのでまとめてかいてしまいます。いつもはギャラリー20個くらいって気に入る作家が一人いるかいないかくらいなのでかなりラッキー(^^)。気に入ったらぜひウェブサイトを見に行って下さい。

Judy Simonian
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Judy Simonian, "Twin Plateaux".

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Judy Simonian, "Icy Blue Trail", 2010.

とにかく色がすごく鮮やかで美しい。パソコンのモニターでは伝わらないまぶしさがあります。魅力的でもっと見たいと思うと同時にあまりのまぶしさに目を背けたくもなく不思議な色使いです。風景画をかく人はたくんさんいます。そのなかでこんなに風景画という物が新鮮に感じさせてくれる作品で出会ったことにびっくりしました。

http://www.judithsimonian.com/index.html

Katherine Mann
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Katherine Mann, "El Dorado", 2009.

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Katherine Mann, "Untitled", 2010.

私のブログを前から読んでいる人は分かると思いますが、私は柄がはいった作品でものがごちゃごちゃしつつちゃんと画面が構成されている作品が好きです。この人の作品はもろ好みという感じです(^p^)ウェブサイト見ながらよだれがたれそうになりました。勢いあるダイナミックな構図と繊細な書き込みとのコントラスト、柄に柄を複雑に重ね合わせつつうまくまとまった感じが好きです。全作品を通して基本的な材料は紙、アクリル、版画、インクとそこまで変わらないと思うのですがどの作品もそれぞれの個性があり見ててあきません。

http://www.katherinemann.net/

Petah Coyne
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Petah Coyne, "Untitled", 2007–08.

バラと鳥の剥製をつかったインスタレーションを作るアーティストです。いい意味で中二病全開の作品(^^)!中二病万歳!なんとなく日本の女の子に人気が出そうなアーティストだとおもいます。気味が悪いのか美しいのか、生きているのか死んでいるのか、力強いののか尊いのか。生き生きした動きの動物をみるとまるで時間が止まったかのような錯覚を覚えます。彼女の作品は全作品を通して「死」の雰囲気がただよっている気がします。

このサイトはギャラリーのサイトなので少々見づらいです↓リストの一番上にあるPetah Coyneをクリックして下さい。
http://www.galerielelong.com/artists/


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