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アート勉強して気付いた事/デュシャンの便器/ポロック/ 知っておくと便利/ リアルに見える絵画は本当にリアル?

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ミニマリズムについて☆

正直、ミニマリズム好きじゃないんですねー。タイトルの星は精一杯の努力。
でもアート美術史的にはとても重要な動きなのです。

前々回グリーンバーグがアート界にとても影響を及ぼした、と書きました。彼のおかげでアートはより「ピュアなアート」をめざしていきました。ピュアなアートとは具体的にどのようなものかというと、グリーンバーグによるとそのミディアムの性質を最大限に生かしたアートのことです。つまり平面作品はより平面的な作品をめざさなければいけないのです。だから基本的に抽象絵画をさします。人や風景を書いた具象絵画は3次元のものを参考にしています。奥行きや立体感をだしてはいけません。それは彫刻の専門ですから!
抽象表現主義がはじめられたころは「ジェスチャー」や作家の手を全面に押し出した作品が推薦されていたのに、いつのまにか人の手は全然全く感じられないようなアートがはやりになっていきました。

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Barnett Newman, "Who's Afraid of Red, Yellow and Blue?", 1966.

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Morris Louis, "Where", 1960.

ルイスは絵の具をキャンバスの上からたらす手法を取って絵画を作りました。人間の手が加わるのを極限まで減らそうとしたのです。

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Frank Stella, "Tomlinson Court Park," 1959.

ステラは色もなくしました。色はもともと人の感情を左右する働きがあると聞きます。明るい色は明るい気持ちになりますし、青い色は悲しい気持ちになります。色を感情をあらわしてしまうと思ったのか、それさえもなくそうとしたんです。
さらに、彼は彼の作品がその作品以外のなにも参考にしないように、白い線をその線が書かれているキャンバス参考にして線と線の間の幅がキャンバスの厚さにしたりしました。徹底振りはすごい!(^^)

しかし!
ステラよりもさらに徹底した人が現れました!ドナルドジャッドです。彼から言わせて見れば、ステラの作品は、キャンバスという3次元のものを参考しているというのです。細かいよ!(~ヘ~;)って感じなのですが、彼が最終的にたどりついた結論は、絵画でピュアなアートは作れないという結果だったのです。どんなに人の手を省いても、どんなに抽象的にしても、結局はキャンバスという3次元のもの書かれたイリュージョン。
ならば、ピュアな平面作品は作れなくても、もともと3次元であることが性質のピュアな彫刻ならば作れるはずだ!と考えて、出来上がった作品たちがこれ↓
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Donald Judd, "Untitled 1968." 1968.

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Donald Judd, "Untitled 1969." 1969.

ミニマリズムはアート史的に重要なのは、ここまでってくらい、「それらしさ」を求めて、最後の最後までいったこと。ここまできたら、もうなにもない、ってくらいシンプルになりました。

でも、ここまでやって、次はどうする?(^^)ってなったんですねー。もうやることなくなっちゃったみたいな。グリーンバーグの論理を追求していけば、絵画はもう死んでいるし、彫刻はジャッドみたいなのばっかになってしまう。

それから、これじゃつまらん!っておもったアーティストたちネオダダやポップアートといったアート運動を始めていくのです。ミニマリズムの次にそういった運動が起こったのではなく、同時進行で発展していくことになります。次はネオダダです!私の歴史的に大好きな動きです!それではまた次回。
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抽象表現主義ーAbstract Expressionismー

前回のポロックの記事の続きです。
抽象主義はとにかく抽象的にかこう!表現しよう!という運動です。ポロックやデ・クーニングなどの作家が代表的な例です。具体的に何をあらわしているか、というと簡単に言っちゃうと「感情」とか「雰囲気」とか名詞にたとえづらいものです。おおざっぱなことばを使っていますが表している感情は具体的です。

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De Kooning, "Excavation", 1950,

たとえば上の絵をみたときに何を感じますか?どう説明しますか?

力強さ。混乱。忙しさ。圧迫。もしかしたら怒り。などなど。

弱弱しさ、癒しとか、そういう単語は重い浮かばないと思うのです。名詞にはたとえられなくても形容詞には例えられるでしょう?「抽象絵画」といっても、てきとうにかかれているんじゃなくて「何か」は表されているんです。ただ、その表現したものが名詞じゃないだけ、と私は考えています(^^)

50年代60年代にとくに抽象主義で推進されたのは画家の力強いジェスチャー(筆後)。強い意思をあらわしていたからでしょう。色も「美しい」と思う色よりも、黒だったりにごってたり飾り気のないものが多い気がします。男が「弱い」とか「センチメンタル」とか「やわらかい」とか「やさしい」とか「飾り」とかを表現するのはあまり良しとされなかった時代背景もあるかもしれません。この時代はまだ女性差別が強かったので、女性はすばらしいアーティストになれないと普通に思われていた時代だったのでしょう。そこで女性的な表現は避けられたのかもしれないです。

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De Kooning, Untitled-XVI., 1975.

デ・クーニングの後の人生にかかれたものをみると、鮮やかな色だったり、やわらかかったり、いわばちょっとフェミニンな表現も入ってきました。セクシャルマイノリティとかを認めるようになったり、「男」イコール強い。泣かない。感情的にならない。みたいなステレオタイプがなくなってきた時代背景も表しているかもしれません。

私はこっちのほうが好きです(^^)

ジャクソンポロック

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Jackson Pollock, "One: Number 31" 1950


↑はジャクソンポロックの代表的な作品の一つです。かれは白と黒のペイントをキャンバス全面にドバババーってやったアーティストとして有名です。はじめてみたときの感想「壁紙でこいうのあるよね」「私でもできそう」でした!(^^)なんでこんなんで美術館で飾れるのか疑問で仕方がなかったです。この絵のどこが美術的にすばらしいんだって、見て言うのは当然の感想だと思います!ポロックがこの絵を完成させた時代背景を知らないとポロックの絵の重要性がわかりづらいと思います。

ジャクソンポロックはAbstractExpressionism(抽象表現主義)と呼ばれる絵画運動の代表的な人になります。抽象表現主義は第二次世界大戦以降にアメリカを拠点におこった運動で、アートの中心地がヨーロッパからアメリカのニューヨークに移るきっかけになった重要な運動でもあります。ポロックの絵がなんであそこまで抽象的になって、ここまで有名になったのでしょう?

ポロックの絵は、美術歴史的にもかなり重要なのです。
カメラと映画は1800年代後半に普及し始めました。1910年代以降からHollywoodなどの誕生で、映画がとても人気になりました。そうすると、それまでリアルに見たものを書こうとしていたアーティストたちはとたんに何をしたらよいのかわからなくなったんだと思います。正確に物を写す技術は人間の手なんかよりも機械のほうが優れてますから。

そこでクレメント、グリーンバーグという、1940年代とても影響力を持った美術評論家がジャクソンポロックやほかの抽象表現画家をとても評価し、新しい美術の方向性を示した論文をいくつか書きました。
彼の論文を簡単にまとめると以下のような内容です。

1.アート(特に絵画)は、そのミディアムの特徴を追求するべき。絵画だったら、絵画の特徴である平面を追求したものを作り上げるべきだと考えました。
2.アートは結果より、プロセスを大事にしよう。
3.アートはアバンギャルド(おもに、彼にとって抽象絵画のことを言う)でなくてはいけなくて、抽象絵画じゃないもの(とりあえず具象絵画って呼ばせていただきます)は、Kistch(キッチュ)、(であってアートではない。
(ミディアム=彫刻、油絵、などの美術のカテゴリー)

彼の論文の中で頻繁にハイアートとローアートという単語が出てきます。簡単に言うとハイアートとは美術館でかざられるような”まじめ”なアートで、ローアートはKistch、宣伝なんかに使われている大衆向けの「アート」ようです。たとえばポスターや商品のラベル、漫画などです。さらにグリーンバーグは具象絵画はすべてキッチュとしたのでグリーンバーグの定義によれば、ダヴィンチの絵も具象絵画なのでローアートにいれられます。(日本はアメリカに比べて、歴史的な違いからにアートをそのようなのわけ方をするのはなじみがないかもしれません。)
グリーンバーグの論文はこのハイアート(抽象絵画主義に代表されるアート)に大衆向けアートいわゆるローアートをはっきりと区別する内容でした。

なぜグリーンバーグはそうまでしてハイアートとローアートをわけたがったのか?
それは、当時ロシアやナチスドイツがアートを使って政府の社会主義政策を宣伝していたためです。そういった社会主義国では、抽象絵画を禁止して社会主義リアリズムなどの「リアル」な表現の絵画を国の正式な美術のスタイルにしました。リアルな表現を使った絵画のほうが、すべての人に受け入れられやすくわかりやすいですよね?社会主義の、”平等”を唱える国家に最適のスタイルです。と同時に、政府が国民に伝えたいメッセージを伝える使われやすいスタイルでもあったのです。
スターリンやヒトラーを偉大な指導者のようにかいたり、愛国心をあおるような絵画をかいたり、そういった絵画は抽象的にはなかなかかけません。早く、簡潔に政府の伝えたいメッセージを国民に伝えるには具象表現があっていたのです。グリーンバーグは、アートだけはそういった政府の影響をうけない、アバンギャルドなものにしたかったのだと思います。抽象主義ならば、すべての人に理解されずらいスタイルなので政府にいいように使われないと考えました。だから抽象表現的なアート以外はアートとして認めなかったのです。


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Boris Vladimirski,"Roses for Stalin"(スターリンに花束を) 1949

↑は社会主義リアリズムのスタイルで描かれた絵画です。子供たちが笑顔でスターリンに花束をわたすシーンです。この絵でスターリンは白い制服きちりと着て、とても清潔なイメージです。とても堂々として、先を見据えたようなたのもしい描かれ方をしています。スターリンが立派なリーダーであるというイメージと同時に、子供にもやさしい父親的な面ももっている親近感の沸けるリーダーだというメッセージを国民に伝えようとしているのが分かります。たしかに抽象絵画では、このような具体的なメッセージはかけませんね!(^^)

しかし、皮肉なことに抽象主義の表現もアメリカ政府によって政治のために使われてしまいました。アメリカは民主主義、自由を唱えます。「アメリカでは、こんな自由な表現が許されるんだぞ!」とアメリカの宣伝に使われてまったのです。

今回の記事の内容は以下の評論文を参考にしています。ネット上で日本語訳がみつかりませんでした、、。もし興味があればぜひ読んでみて下さい。
Clement Geenberg "Avant-Garde and Kitsch
Clement Greenberg "Modernist Painting"

デュシャンの「泉」について

泉
Marcel Duchamp, "Fountain" 1917. (photograph by Alfred Stieglitz.)

拍手押してくれた方、どうもありがとうございました!どなたかに読まれているというだけで、とてもやる気が出ました。それと同時に、まちがったことをいったらどうしようと恐怖が(((;゚Д゚)))私は本当にあまり頭よくないですし、知識もそれほど多くありません。だけど、現代美術って意味不明!ってちょっと前まで思ってた私の視点から、アートのおもしろさを伝えていけたらなって思ってます。改めてよろしくお願いします。あと誤字脱字が多いと思います。日本語の文章下手だと思います。常に編集していきたいと思いますので、そこらへんもご理解お願いします。

今日デュシャンについて書こうと思います。デュシャンというのは、展覧会でサインをしたトイレの便器のタイトル:「泉」、英語タイトル”Fountain"を展示したあの有名なアーティストです。ウィキペディアによると、「『泉』は2004年12月、世界の芸術をリードする500人に最もインパクトのある現代芸術の作品を5点選んでもらうという調査の結果、ピカソの名作『アヴィニョンの娘たち』を抑えて堂々の1位を獲得した」と書いてあります。

「泉」は1917年にニューヨークのSociety of Independent Artists展に出品された作品です。この展覧会は審査によって作品が選ばれるのではなく、誰でも出品すれば展示されるはずでした。ですが、デュシャンの「泉」は、展覧会の責任者らから「これはアートじゃない」といわれ展示されませんでした。そのことが、ほかのダダイズムのアーティストを怒らせました。

ダダイズムはそもそもなんなのかというと、ヨーロッパとアメリカで第一次世界大戦に反発する人たちの集まりらしいです。彼らは伝統的なクラス階級(おもにヨーロッパで存在していた)と資本主義社会は、人間的な感情よりも理論や利益を重視した思想がはじめたものであり、それによって戦争が行われたと考えました。それに反発するために、そういった社会が生み出した伝統的な「美」を追求する美術をすべて覆そうと考え、アーティストたちはある種の「Anti-Art」、反アートを作りました。それがダダイズムです。

「泉」はそういった時代背景や思想で作られたということだけでも、おもしろいのですが、なぜ今でも最もインパクトのある現代アートなのかは、その作品が後の作品に残した多大な影響力のためだと思います。
「泉」は「レディメイド」と呼ばれる作品です。つまりもともとあったものを、アーティストが拾って展覧会に出品しただけの作品なのです。「泉」はただの便器です。それをみた展覧会責任者たちは「これはアートじゃない」と非難するものもいれば、ついに「いや、でもよく見たらこの便器のフォルムは美しい」という評論家もあらわれたそうですね!デュシャンはそういったえらそうにしている評論家たちを笑うために出品したのでしょうか。それともサインしただけでただの物がアートとされる美術界を非難したのでしょうか。今のほとんどの人の現代アートの見方と似てますね!(^^)

私が思うに、その「泉」があったために、その後のアートの可能性が広がったんだとおもいます。だって、ようはなんでもいいんです!なに出品しても!何か具体的なものを表現した作品でなくても、見る人にただ疑問をぶつけるアートがあってもいいっていってるんです!この「泉」をみて「アートってなんだろう?」「美意識ってなんだろう?」「アートに技術は必要なの?」とか考えたり、サインをみて「ブランドってなんだろう。今の社会で過大評価されてないか?」とか、便器みたいな日常品を見て「あぁ、たしかに日常品っでも洗練されたデザインをしているな。これからもっと日常に目を向けていこう」とか、「日常と美術界ってなんでこんなにかけ離れたものになってしまっているんだろう」とか!いろんな疑問が浮かんできますよね!その疑問を作品にしてしまったんです!それと、単純におかしいですよね!展覧会を開催するおえらい方が真剣に便器を出品する光景を思い浮かべたら!

デュシャンがどれほどこれまでのことを考えて、あの便器を出したのかはわかりません。はじめは単純な意図だったかもしれないですが、(私が調べてないのでわかりません)だけど、あの「便器」があったおかげでアートの存在意義を問いただすと同時に、また新たな可能性を与えたと私は考えています♪
デュシャン以降のアートはすべてコンセプチュアルだ、ということばをどこかで耳にしたことがあります。コンセプチュアルアートは視覚だけじゃなくてコンセプトで見る側をたのしませてくれます。コンセプチュアルだからといって、視覚的に面白くないわけはないですし、また逆に視覚的に面白いからってコンセプチュアルにつまらないというわけではなくて、両方が互いの要素をおもしろくさせているのがおもしろいアートだと私的に思います!

長い文章ここまで読んでくれてありがとうございました。後日読み返して、わかりづらい点とつけくわえたう点があったら編集します。

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