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知っておくと便利?

えっと、今日はいつもとちょっと違うことについて書きます。まったくアート見たことない人はこれを頭に入れておくとわかりやすいかも?っていうことを書きます。全く役に立たない!ということは大いにあり得るかと思います(^^)。ご了承ください。
「現代アート」とひとくくりにされてますが、アートはほんといろいろ存在していて、それを一口に説明するのはとてもむずかしい。どれも「見る」ことに根本があるのですが、アートによって楽しみ方(?)が違うと思うのです。私は、アートは楽しみ方によってだいたい大きく3つに分けられるんじゃないかなって思います。それを今回図にしてみました!

ドン☆

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*3つのカテゴリーの名称は適当です

図が適当?美術系なのに?気にしない気にしない(^^)


・Visual(視覚型)

marlin.jpg
Joan Mitchell, "Maryln", 1960.

おもに視覚的に楽しむもの。見て「ああ、おもしろい」って思えるものです。
あまりに、深いこと考えずに見たほうがいいと思うものです。「あ、いい感じだな」っていう風に。でも、これは、結構「見る力」を鍛えないと、何がいいか、何がよくないか、ちょっとわかりづらいカテゴリーな気もします。とにかくいっぱい、見て、「見方」を知っている人がどう見ているかを聞いたら、ある日「あぁ、こういうことだったのかー」ってなると思います!。ちなみに私はたぶんこのヴィジュアルに重点を置いたアートが好きで、このブログで紹介しているのも、そういったアーティストが多いかと思います。油絵は比較的にこのカテゴリーが多いかと思います。



・コンセプチュアル(概念型)

conceptual
One and Three Chairs, 1965, is a work by Joseph Kosuth

理性的・頭で考えておもしろいアート。考えを文章ではなく、物体か、視覚化したアートです。ちょっと暗号を読み解く感覚に似ています。上はコンセプチュアルのかなり極端な例だとおもいます。本物の椅子があって、左隣に椅子の写真が置いてあって、その右隣に「椅子」の辞書にのっている定義をのせています。「同じ「椅子」なのに、全然違う物体だ」「写真の椅子は椅子ではなくて椅子の写真だ」などという「椅子」や私たちが何気なく使う物体を指すことばの意味を考えさせます。同じ「椅子」なのに全然違う!

・Experiential(体験型)

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Richard Serra, "A Matter of Time" at the Guggenheim.

最初これをヴィジュアルにいれてしまおうか考えたのですが、ちょっと違う気がするので別のカテゴリーにしました。大きすぎて目の視野範囲収まりきらず、なんか体全体で感じるアートです。インスタレーションや大きな彫刻に多いような気がします。もちろん大きな油絵でもこのカテゴリーにはいったりします。この体験型はとにかくほかの2つのカテゴリー以上に実際に見ないと、写真では良さがほんとうに伝わりづらいと思います。たとえば上の写真はサラのでっかい彫刻なわけですが、まーいってしまえばただのでっかい鉄板(^^)写真で伝わるほど視覚的におもしろいわけでもなく(ただのでっかい鉄板)コンセプトがおもしろいわけでもない(ただのでっかい鉄板)。でも実際に行って、まじかで見る、鉄板の重みや圧迫感を感じられます。また「落ちてくるんじゃないか」という身の危険も感じたりもします。こうしたドキドキ感はなかなか写真では伝わりづらいので、写真だけ見て「これのどこがアートなの?」って言う前に、実際に見てからにしましょう!!

もちろんこのカテゴリーはおおざっぱなもので、ほとんどのアートはこういったカテゴリーを全部少しずつとりいれつつ、どれかのカテゴリーに重点を置いていることが多いと思います。またまったくあてまらないアーティストもいます。

ひとつ例を出すと、

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Sol LeWitt, "Wall Drawing #146",September 1972.

ソル・ウィットはのドローイングはいろんな中間の例かなぁって思います。ソル・ウィットはメモに何個かの指示を書きます。そしてその指示をもとにアシスタントがドローイングを完成させます。ソル・ウィットは実際のドローイングを作る作業にかかわっていないのですが、彼の指示通りにドローイングがあ作られるのです。ということは、あらかじめアーティストのアイデア重視のコンセプチュアルアートなのか?アーティストの役目とは?作品誰が作ったのか?ソル・ウィット?それとも実行したアシスタント?などの疑問が生まれます。また、指示通りに作れば何度でも同じドローイングができるわけなので「オリジナリティとは何か」などと問いたくなります!と、ソル・ウィットのアートはこのような疑問を生みだすコンセプトが重視かと思いきや、それだけではない気もするんですよねぇ。数行のことば指示から生まれたドローイング。完成するまでそのドローイングがどのようなものかアシスタントやソル・ウィット自身もわかりません(ソル・ウィットが実際にメモをもとに自分で試しが書きをしているのか、ちょっとわかりません)。ということは、ただアイデアがあってそれを実行する他に発見もあるわけです。完成図がはじめから決まっているような、いないような。これはコンセプトだけ重視のコスースとは違う気もします。また、完成されたものも、作られた壁や部屋を調和して、美しい!ということで、私はソル・ウィットはコンセプトと視覚の中間かなぁって思います。

いままでこのブログで紹介してきたアーティストをこのグラフに入れてみました。
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見づらいですね!敬称略

ムラサキ(視覚重視)=ファフ、ジー、デ・クーニング、トゥオンブリー、メヘルー、ラウシェンバーグ
オレンジ(視覚とコンセプト重視)=シルエット
ピンク(コンセプト重視)=シカゴ、ウォーホール、コスース、村上
空色(コンセプトと体験重視)=ジャッド、クリスト、スミスソン
黄緑(体験重視)=サラ
青(体験と視覚重視)=草間
赤(例外)=ジェンセン

もちろん作品によって、何に重点が置かれるか、は違ってきます!!改めて見ると、サラ・ジーとジュディ・ファフをもっと体験型と視覚型の中間地点にすればよかったと後悔。例外の例(笑)はセオ・ジェンセンかなとおもいます。見てもおもしろいし、想像力はすごいなーって思うんですけど、やっぱりなにより、技術に感動するので、三角形の外に書きました。どうでしょう・・・・これでちょっと現代アートわかりやすくなりますでしょうか・・・私がこういう風に習ったわけではなくて、なんとなく思いつきなので、あまりこれだけを信用しないように、お願いしますwもっと違うカテゴリーの分け方もあると思いますので。




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ダイアナ・クーパー

久しぶりにブログを更新して、文章だけではあまりにさびしいと思ったので、続けて投稿です。

今日はDiana Cooperというアーティストの作品を紹介しようと思います。

じゃん!

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Diana Cooper "Traveling the Exosphere", 2000-2002.

彼女はおもにドローイングやインスタレーションをメインに作っているアーティストです。

どの作品をみてもそうなのですが、エネルギーがすさまじい(^^)。とにかく、でかい!ドローイングなのに壁全体を覆うような大きさです。
とにかく見ていると全力で描ききったぜ!っていう爽快感を感じます。カラフルで遊び心にあふれていますよね!デッサンというより、「らくがき」とかの延長みたいで、おもしろさ、描くという楽しさ、思いつきでなんとなく書いてしまう気軽さそんな「らくがき」っぽさを真剣に追求し続けたらこうなった!って感じがします。また平面でありながら、でこぼことコラージュのようなでも平面であることは隠してないような、そんな不思議な空間を作っていると思います。

彼女のインスタレーションも彫刻も、ドローイングの延長のような気がします。

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Diana Cooper "The Emerger": The Whitney Museum of Art in Atria, 2005- Ongoing.

彼女のドローイングにはフェルトや、コード、フォームや他、プラスチックやら、立体的に浮き上がった部分やら、穴が切り取られたり、2次元にとどまらず3次元の要素もとりいれられます。
彼女のインスタレーションや彫刻もドローイングのように自然と立体と平面をでたりはいったりするように思います。はじめから「こういう風にしよう」という計画的につくられたというより、思いつきが思いつきを呼び、それをつなげてできた結果が彼女のインスタレーションや彫刻のような気がします。大きい彫刻のようなものをと作るとき、えんぴつで紙にかくより素材や組み立て方を考えたり、いろいろ計画性が必要だと思うんです。だかららくがきより作品が固くなりやすいと思うんですが、クーパーの作品はらくがきの自由な感じをそこまで失わずに彫刻やインスタレーションが作れるのが素敵です。

2次元か?3次元か?彫刻か?平面か?ドローイングか?らくがきか?アートか?そんなルールや分野ににとらわれないで、小さいときに書いたらくがきのように自分の中にある自由なイマジネーションを信じて、作品が作られているように思います。(^^)

彼女のウェブサイトは写真が充実しているので、ぜひ見ることをお勧めします。

http://www.dianacooper.net/index.html

それではまた。

作家のコンセプト・鑑賞者のコンセプト

この記事はちょっと前に書いた村上隆さんのアートについてかいた2つの記事につけられた通りすがりさんのコメントにたいしての反応とさせていただきます。同一人物だと勝手に思い込んでしましましたが、(内容と原稿時間が近かったので)もしちがったなら申し訳ございません。反応しているうちに脱線しまくって長くなりそうだったので新たな記事にさせていただきました。

注意:たびたび「コンセプト」ということばを乱用していますが「見解」だったり「意味」だったり「テーマ」そんな意味で使ってます


まずコメントありがとうございました。
動画みてきました。



(こちらは村上隆さんによる現代アートとは何か?的な解説をした生放送の録画動画です)
村上さんについてかかれた評論文や村上さんが書いた本やエッセイも読んだことがあったのですが、村上さん本人が自分のアートについてしゃべっているところをみたことがなかったのでとても興味深くみさせていただきました。

動画を見ると、通りすがりさんのコメントのご指摘にあるように私の村上隆さんのアートの見解とご本人による解説はとてもちがいました。結論から言うと、綺麗事に聞こえてしまうかもしれませんがですがどちらがあってるとか、そういうことではないとおもいます。私は作品と作家はある程度別にとらえています。作家がこの作品のコンセプトはこういうものだと断言しても、実際に作品が表わしているものは違うということがよくあると断言します(^^)作ったものと、鑑賞者の視点があまりにもちがうからです。そのひとつの理由として、私個人の経験からかきますが作品を作るときにあまりに集中し作品に没頭してしまっているのでまわりがみえなくなることはよくます。ついでに労力と時間を費やすので、愛情も湧いてきて(笑)絶対に客観的に見えなくなっています。(^^)作ってるときは「これを生みだした私は天才だ!」とおもっても、しばらく時間が経つか、誰かに見てもらうとそうでないこと(^^)にすぐ気付きます。客観的にみるのはとてもむずかしいです。だから、作家さんが「この作品のコンセプトがこうだ」と言っても、それがその作品のすべてではないってことをいつも思いながら私はアートをみます。

また見る側も自分の経験や好みなども、鑑賞する上でもっています。それがその鑑賞者にとっての作品の見解につながります。これはまちがいではなく作家と鑑賞者では作品の意味が違ってくるでしょう。

私も作品を人に見せたら考えてもなかったことをよみとられることがあります。「これは●●を意味しているんですね~」とかいわれます。心の中で「そんなこと考えたことももないYO!」って叫んでます。その解釈本当に嫌なら次からそう読み取れないように努力します。それが次の作品につながったりします。またその「解釈は作ってるとき思わなかったなぁ」っておもっていても、あとで(1年くらいたって)「あぁやっぱ、あの人が言っていたこと正しかったな。あの作品はあれがコンセプトだったんだ」って思うことがあります。

アートにはいろんな意味が含まれていて、作家が予期しなかったコンセプトとしてかんがえてなかったことを鑑賞者が読み取ることもあるでしょう。作家が気付かない、他の人の視線からでしか読み取れないコンセプトがその作品に与えられるかもしれません。作家のコンセプトも見る側のコンセプトどちらもあってこそ、その作品の意味や価値が生み出されると思います。

ここで強調させてください。このブログに書いてあるのはアートに対する私の見解感想です。解説ではないです
私の勝手な作品に関する解釈を載せて、このブログの読者に「おもしろいでしょう?」って説得しようとしているの読書感想文のようなものです。私はまず見て「おもしろい!」っておもったらつぎに「なんでおもしろいんだろう?」って考えた結果文章にしてこのブログに書いています。それが私のその作品のコンセプトになります。私が作品を見て作家さんの言い分を聞かずに書いているわけですから、作家さんにはもしかしたら大変失礼なことをしているのかもしれません。ですが、たとえ見る側が作家さんに意図とされてないことを作品の中で読み取ったということは、その作品になにがしらかそう読み取られる部分があったというのは否定できないと思っています。だからどの見解があってるとか、そういうことはないと思います。自分にとって「この見解が正しい!」とおもえばそれが正しいと思います。また見解が合わない者同士それについて議論をするのも楽しいのだと思います。いろんな見解ができるというゆるさを備えつつも、共感するものには的確に共感させるところが現代アートのいいところだとおもいます(^^)

村上隆さんは動画の中で自分のアートはアートの歴史や過去のアニメからの引用を重ねることが、おもしろさを生むというように説明していますが、私のとって彼のアートやアート全般のおもしろさはそこではありません。彼の言っている引用も細かすぎてそこまで歴史やアニメに詳しくない私には正直ちょっとそこまで読み取れません。私はそんな引用とか知らなくてもアートはおもしろく見れると思います。知ってたらもっと面白くなるかもしれません。私は自分の作っているアートに共通するテーマを彼のアートみつけることができたので、(それは村上さんの趣旨じゃないでしょう(苦笑))それがおもしろいとおもいこのブログにかきました。

あと前もいいました、私は本当にまだ勉強中の身です。本当に教える立場ではありません。現代アートにほんとうの意味で興味を持ちだしたのはおそらく2~3年前です。ただそれまで「現代アートなんてわからない」と思っていて、そう思っている人は私の周りに今でもたくさんいます。知識も経験も全然ないのですが、本当に現代アートにどっぷりはまってほんとうに言葉じゃ説明できないほどに世界の見方が変わったのでぜひこの気持ちを共感していほしいと思いブログをかきはじめました。


ほんとうに長くなってすみませんでした。でもいろいろコメントをみて触発され、それに関連したことをかきたかったのでこの機にかかせていただきました。次の記事は↑の動画を見た感想を書きたいと思います。

現代アートってなんだろうね

前回の記事の続きです。実際の村上さんの動画を見た感想をかきます。

共感するところもちょっとあれば、全然共感しないところのほうが多かったです(^^)率直な感想を言うと、なんだか現代アートの捉え方がなんだか狭いなと感じてしまいました。う~ん。なんだろう。村上さんの現代アートの捉え方だと、作品の意味はすべて作家によって作られる。しかも理性(歴史的背景、技法、コンセプト)だけでつくれれて、それを視覚的暗号にする、という風に聞こえました。そういうアートもあります。でもそれだけではないはずです!!!

はじめにかいておきますが私は村上隆さんを尊敬しています。理由は様々あります。日本で現代アーティストの名前が全然知られていないにも変わらず日本全国の人にこれほど知られているのはすごいと思います。また、芸祭や、ニコ生放送、本の出版、自分のアートについて頻繁に文章を書くなど、現代アートを一般の人にも楽しんでもらったり、若手の日本人アーティストを育てようとする活動をするなど、ご自分のアートだけではなく日本のアート界を活発化しようとしていることに対しては尊敬あるのみです。
また、私がはじめてヒロポンという巨乳の女の子の彫刻をみた衝撃は忘れられません。美術館といったらピカソのわけわかめな絵か印象派の綺麗な絵ばかりで飽き飽きしていたときに、ヒロポンをみて「気持ち悪い!」とそれまで美術館で味わえなかった強い感情を味わえたのは衝撃的でした。


だがしかし!


私が村上隆さんのアート観に賛成かというと、断じてそうではないです・・・!と、この前の動画を見て、確信しました。「芸術企業論」を読んでうすうすかんじていたのですが(^^)

村上隆さんはほんとうにコンセプチュアルなアーティストです。頭(理性)で考えておもしろいです。歴史やポップカルチャーからの引用は、頭で考えて、重ねて、おもしろさがうまれます。
ですが、芸術はやっぱり感性を磨くためにあるとおもうのです!!!私にとってアートの重要性は考えるんじゃなくて、感じる!ことだとおもいます!!!

アートをまったくみたことない人にとってやはりコンセプトに重点を置いたアートのほうが入りやすいとおもいます。なぜなら、どちらかというと哲学に近く暗号を読み解く感じで理性的におもしろさがわかるからだと思います。やはり現代社会では理性が多く使われ重視されているとおもうのです。私たちが自覚する以上に。ただ視覚言語という暗号を読み解いて、見ることに一生懸命になるうちに、見る力が付いてそのうち感性も磨かれていくと思います!(私もコンセプチュアルアートから興味をもちはじめ、少しずつ、「見る」「感じる」ということがどういうことかわかるようになりました)

それと、動画を見た感じだと、村上さんのいう「プロフェッショナル」のアーティストになることは経済的地・位的な成功を意味しているように聞こえました。でもそれだけかなぁ、って思います。それだったらビジネスマンを変わらないような気がしますす・・・!

お金作りたくてアートする人はあんまいないと思います。正直お金作れる人はごく少数です。お金持ちになりたかったら経済学とか学んだ方が早いですw

私もなんで作品を作り続けるんだろうと考えます。だけど今たどりついた答えは・・・、
感動することはエンターテインメント以上の価値があると思います。人間には理性と感性両方が備わっていて、今の現代社会では医学とか、経済学とか、テクノロジーとか目に見える利益や合理性が重視されるような気がします。No Music、 No Lifeというのは音楽なくては生きていけないといっていますが、音楽も感性を磨く芸術で、アートも同じだともいます。感性がなければ生きていけない・・・・かはわかりません。でもそうかもしれません。よね?(^^)

理性も感性もどちらも生きていく上で同じくらい大事だと思っているから、アートを作ったり見たりすることは無意味じゃないと思っているのかもしれません。ダンスも、演劇も、音楽も、小説も、映画も、お笑いも、それぞれちがう感性を磨いてくれると思うのです。

アートを作ッたりみたりするのがほんとうにたのしいのです。ほかのことをしては絶対に味わえないような、苦しみや達成感ややりがいがあります。また何か言葉にできないことを表現したいという願望があり、それになかなか到達できないから作り続けたいと思います。ちょっとでも表現したいとおもっていた、頭の中の抽象的な考えが作品として目の前に現れた時の感動は、文章を書いたり、歌を歌ったり、踊ったりでは、味わえないです。自己満なのかな?とたまに悩みます。それ以上の価値があるかまだわかりません、あったらよいなぁとおもいながら作ります。自分の作ったものを共感してくれるひとがいたらよいと思います。もし私のアートで共感を覚える人がいて、アートにもっと興味をもつ人がいれば、それは一人でも多くの人に感性の重要性を伝えられたら・・・!と思います

これをもって通りすがりさんのコメントの返しとさせていただきます。ハンドルネームが通りすがりさんなので、おそらくこの記事は読んでないと思いますが感想ありがとうございました。なんだか自分の語りばかりになって申し訳ないです。

最後に、
私の周りにはあまりアートについて話す人も今はいなくて、また議論をするほど自分の意見に自信がありませんし、とにかくチキンなので仲の良い友人でも真剣な話は避けてしまいます(^^)。知識も実力足りないと感じているからです。ただこうして、ブログという形でなんとなく考えていることを書けるのはとても幸せで、コメントや拍手から、読んでくださった方の感想を聞けたり知識を分けていただけることはほんとうにありがたいですし、なにより楽しいです。今回のコメントははじめて、反感を買ってしまったような内容だったのでおそらく過剰反応してしまっていることはわかっています。
まとまらなくなってきましたが、とにかく私の拙い文章を読んでくれる皆さまにほんとうに感謝していることを伝えたいです。ありがとうございます。どんなキツイ意見でも広い心でうけいれるように努力したいと思いますので、どんなご意見感想でもお気軽に書いてください。返事遅くなったらすみません。
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