はじめてこのブログを読む人におすすめの記事:
アート勉強して気付いた事/デュシャンの便器/ポロック/ 知っておくと便利/ リアルに見える絵画は本当にリアル?

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各国別で一番好かれる絵画

皆さんお元気ですか。私は最近ちょっと沈みぎみです。将来がとても不安になってきました(^^)

年初めに書こうと思っていたのですが、コメントや拍手とても励みになります。誤字脱字それにくわえて文法もおかしくて読みづらい記事ばかりなのに、それでも拍手やコメントをいただけて本当にありがたいです。三日坊主の私がここまで(だらだらではありますが)長くブログを続けられるの皆様のお陰です。ありがとうございます。

おもしろいウェブサイトをみつけたのでそれについて書きます。
まずこのふたつのページをみてください。↓

http://awp.diaart.org/km/surveyresults.html

http://awp.diaart.org/km/painting.html


コマールとメラミド(よみかたが違うかもしれません。英字表記だとVitaly Komar and Alex Melamid)という2人のアーティストが1994年からはじめたアートプロジェクトです。いろんな国の人に「どういう絵画がすきか?またどういう絵画が嫌いか?」というアンケートをとってその結果に基づいて油絵をつくりました。
質問内容は「どういう色が好きですか?」「現代アートと伝統的なアートどちらが好きですか?」「室内と室外どっちがいいですか?」など、あとは答案者の年齢や年収を聞く物まであります。

上のアドレスがそのアンケート結果で下がそのアンケート結果に基づいた各国の最も好かれる絵画(左)と、好かれない絵画(右)をアーティストたちが作りました。

みてわかるのですが、好みが著しく偏っているのです。
多くの国は

青という色が好き、
風景画が好き、
やわらかく曲線が線、
ふで跡が好き、

抽象絵画が嫌い、
四角い形が嫌い、


ということが分かります。(例外はあります)さてアンケートの結果をすべて信じてしまっていいとはいえないのですが、おもしろいですよね。日本がないのが残念です(^^)。おそらく似たような結果になる気がするのですがどうでしょう?「アニメの絵と写実的な絵どっちが好きか?」とかもアンケートに組み込めたられたらおもしろいと思うんですが!

いろんな解釈ができるかと思います。
アンケートの結果を仮に信じるとしましょう。好みは自由のはずなのに、どの国の人の好みはほとんど同じ。これはなにを意味しているのか?

青色や曲線のほうを好むのは生物学的理由があるかもしれません。しかし、ほとんどの国の好みを統計すると19世紀から20世紀前半の洋画のになるのは遺伝的なしくみだということは非常に考えにくい。

環境がそうさせているのか?実はえらい人の好みを小さい頃から植え付けられているのではないか?もしも小さい頃から現代アートをみる機会が多ければこういう結果にはならないのだろうかとか。未だに多くの展覧会に飾られることが多いのは印象派までの絵画なような気がしますし、高校のアート史もピカソくらいまでしかいかなかった気がします。(私の高校は)また親が現代アートをみる機会があまりないし、習ったこともないから子供に現代アートを見せようと思うことがないことも影響しているのか。もしそうであれば「好み」は伝承されていくものなのか。だとしたらアート教育はもっと現代にあわせるべきじゃないの?とか。

むしろ逆かもしれない。このブログのタイトルでもあるように現代アートを楽しむためにはそれなりに勉強は必要なのかもしれません。だとしたら実はアンケートは大衆の本音でだととらえるとアートはなぜ大衆の望みに答えない?なぜ大勢の人が望むアートをアーティストはつくらないのか?むしろ現代アートにかかわる人が意味もなく好かれるアートを毛嫌いするように教育させられて理解できないものを作っているのか?なぜ誰も理解できないし、美しくもないアートを作る意味があるのか?

そう考えるとアート界はおかしな世界なのかもしれません。マーケットは需要を供給。需要がないものをわざわざ作っているのですから。

前回のアートとお金の記事に関連づけると、好まれることだけを目的とするとみんな同じような絵画を作ることになるかもしれません。ましてその「好み」が自分のものではなく、だれかの好みを植え付けられたものだとしたら、、、、?

Roses_for_Stalin_by_Vladimirskij_convert_20090419025050.jpg
Boris Vladimirski,"Roses for Stalin"(スターリンに花束を) 1949

ここでちょっと歴史(?)を挟みます。コマールとメラミドはソビエトで生まれました。1974年にほかのロシアのアーティストらと展覧会を開きました。のちにBulldozer Exhibitionとよばれます。展覧会中にブルドーザで警察(政府)が展覧会を壊したからです。ソビエトの公式絵画スタイルは上の絵のような社会主義リアリズム。写実的で社会主義をたたえるスタイルだったのですが、その展覧会の作品はそれにそっていなかったのです。「好み」が政府によって制限されていたのです。コマールとメラミドはのちに自由の国アメリカで「民主主義」らしいアンケートという形式で大勢の人の好みを反映した絵画を制作したのですが、いろんな国の人がほとんど同じような絵画を好むことがわかりました。さて、これは何を意味しているのでしょう?(^^)

アンケートの結果をみて、私はとまどいいます。どううけとめればいいかよくわかりません。ただ好みというのはどこからくるかよくわからないなーって思います。だからアートで「好み」を問いかけるようなアートが作られることも大事なアートのつとめだと、だから売れるものを作るだけじゃだめだと、いまなんとなく思ったりしなかったりしました。だからはじめは「嫌い」「わからない」って思っても、「わかろう」という気持ちは大事だと思います。今後資金が集まったらまたアンケートの範囲を広めるようです。ぜひ日本でやってほしいです(^^)

なんか今回の記事、疑心暗鬼になるような書き方ですね!ごめんなさい。ちょっと今くらい気分が影響しているのかもしれません。

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手塚治虫の短編アニメ

あけましておめでとうございます。本日2度目の記事です。
久しぶりに書いて、一個前のは文章ばっかでつまらないかなぁって思ったので2個目です。

全然関係ないんですけど、私このブログでアーティストを紹介するときに敬称をつけるかすごい悩んでますw基本的につけてないんですが、(日本人の方はないとは思いますがもしかしたらこのブログを読まれている可能性もあるので付けている場合が多いと思いますが)あってもなくて気持ちとしては「様」「殿」「閣下」「陛下」などをつけていると想像してください。

今日ちょっと前にYoutubeでみつけた手塚治虫さんの短編アニメの紹介です。現代アーティストじゃなくてすみません。



かなり皮肉が含まれています。くらしが便利になっていく中で、環境破壊やペットの遺伝子組み換えなど生き物を商品として売る問題性がはっきりとおもしろおかしく表現されていて力強い作品だと思います。




絵柄がディズニーのようにかわいらしいのに、戦争や自殺やテクノロジーに関する不信感などの社会の暗い部分がストーリーの中に自然と組み込まれているのがうまいとおもいます。



一番年代を感じる作品。最後にデュシャンの便器が出てきて笑えました。



選んだ中で一番エンターテインメント性があると思います。アニメが自分がアニメ(白黒フィルム?)であることを認める表現で遊ぶところがおもしろいとおもいます。

Youtubeにはほかにも、美大生がつくった短編アニメや昔の実験アニメがあるので、あさって見てみると楽しいです。短編アニメを見る場所ってもっとあればいいのになぁ。皆様よいお年を!

アートとお金と美について

あけましておめでとうございます。今年もユルユルやっていくので、読んでいただけたら光栄です。
さて、前回緩い内容を書くと言っていたのですが、村上隆氏の「芸術闘争論」をよんだので、その感想とそれに絡めた話を書きたいと思います。ごめんなさい。今日の内容怒られるかもしれないですwでも私の感想なのでこういう意見もあるよ程度に読みながしてくれると助かります。

過去の記事を読んで思うのですが、私は村上隆さんを絶賛し過ぎだと思います(^^)ええ、今でも私は彼のアートに影響され尊敬します。と、同時に憎いです。前も書いたんですけど、尊敬してますが「なんで自分で作っていない物なのにあんなに売れるの?」(人の手が見られないアートがだめと言っている訳ではないです。それも作品のコンセプトだったりします。だけど私は人の手が入っているアートを見る方が好きです)「いくらなんでも売れ過ぎじゃないか?」と憎くて憎くて仕方がない時もあります。あれです。少女漫画で言う「いやなやつ!いやなやつ!いやなやつ!」と思っていた彼を好きになってしまう主人公みたいな心境です。(耳を○ませば)だから好きだか嫌いだか関係なく影響を受けている人物だとおもいます。スーパーフラット論をすべて信じるかというとそうではないけど確実に面白いと思うし、「私は絶対ああいうアートはつくらねぇ!」っていうのが原動力になっています。という訳でこのブログでなんだかんだいって一番記事が多いのは村上隆さんについてなんですよね。憎しみと尊敬かどっちかわかりませんが、とにかく触発されます。

「芸術闘争論」を読み終わって一番疑問におもったのは、
売れるアート=すばらしいアートということなのか?
私はそうは思わないなぁ。売れるにはそれなりの理由はあると思います。村上さんも本の中でアーティストとして成功するには、作品を作ること意外に、コネクションとか自分を以下に売り出すかとかについて書いています。特にギャラリーの話とかおもしろかったです。でも売ることを目的にするのはアートの目的じゃないと思います。(これは村上さんがそう書いている訳ではないです。念のため)

本の中にも出てきたジェフクーンズについて書きます。ジェフクーンズは村上隆さん、ダミアンハーストとよく同じようにアーティストグループでまとめられるように思います。作品はかなりの高額で取引されと同時にその価値を疑われる人物だと思います。特にアートを作っている人から。

たとえば下はジェフクーンズの作品です。
jeffkoons
Jeff Koons. "Puppy Vase".2008.

これは3000個作られ一個7500ドルとして売られました。これは果たして7500ドルの価値があるのか?もしかしてデュシャンの便器みたいになんか深い意味があるのか?と考えますよね(^^)。でもクーンズはこの作品についてこう説明しています。“The vase is a symbol of love, warmth, and happiness,”http://www.dailyicon.net/2008/08/jeff-koons-puppy-vase-available-for-750000/より
「この花器は愛、暖かみ、幸せを意味しています。」

あれ?(^^)
ジェフクーンズでも村上隆さんの作品でむずかしいのは、ほとんどの人が作品の見た目に引かれる事実がある所だと思うんです。作っているアーティストもそれを分かってやっているのです。かわいいわんちゃんの形でちょっと60年代を思わせる花器を見て「嫌い!」なんて思わないでしょう?でもこういうのは100円ショップでも売ってそうな感じがしますよね。これはどうしてアートになるのか?って思います。デュシャンの便器のようにその問いがこの作品の本質なのでは?って。それもあるかもしれません。でも作った本人はそういう意を込めたとは言っておらず、それはもうすでにアート界で行われてきたことなので高額の理由にはなりません。明らかにただ可愛いから、ただ人に好かれるであろう犬の花器を作ったのです。

ちょっと話をかえます。
前回の記事で書いたように、ポストモダニズムのあと、アートは美しくあるべきだという考えがなくなりました。人によってだいぶ美しいの評価基準は違うからです。(エジプトの壁画もヨーロッパの宗教がも浮世絵もみんなちがう「美しい」の基準で作られたんじゃないでしょうか)
Dave Hickey の Invisible Dragon Four essays on Beauty という本はは1990年代前半にそんな「美」に対する疑いの目についての問題を取り上げた本です。出版された当時はアートの世界で話題になったようです。(日本語訳出ているのか分かりません)
ヒッキーが言うには1980年代後半になると、アートは美しくある必要がないだけでなく、むしろ美しいものに疑いの目でみられる傾向がでてきました。美しいものは人を自然と引きつけるものです。美しいもの=売れるものという関連づけがなされはじめたからです。

西洋史のなかのアートはハイアート(美術館などに飾られるアート)ローアート(消費されるアート、ポスター、はがき、フィギュアなどの商品)をきっちりわけたがる傾向があります。日本では歴史的にその差はあまりないように思います。職人とアーティストのちがいがなかったように思いますし、今美術館で飾られている日本画はもともとは屏風のかざりだったり、浮世絵はポストカードなどの役目を果たしていたり、現代になって当時のローアートだと思われていたものをハイアートにしているような気がします。

とにかく西洋のアーティストはハイアートをローアート(商品として売る)にすることを拒みたい、消費社会から逃れたいという思いがあるように思います。だから大衆受けしやすそうな、「美しい」(「可愛い」も含めていいと思います)ものに疑いの目が向けられた。しかし同時にこんな苦労して作った作品を売らなきゃいのはもったいないし、それに「美しい」ものには引かれるのは事実であるし、といろいろ矛盾もある。

たぶん翻訳されていないので、ヒッキーのほんの一部から抜粋します。
Beautiful art sells. If it sells itself, it is an idolatrous commodity, if it sells anything else, it is a seductive advertisement. Art is not idolatry, nor is it advertising, and I would agree--with the caveat that idolatry and advertising are, indeed art, and the greatest works of art are always inevitable both. (Hickey, Dave. The Invisible Dragon. Los Angeles: Art Issues Press, 1993.16-17)
「美しいアートは売れる。もし作品が美によって自身を売ろうとしているのならそれは商品であり、もしそれ以外を売ろうとしているのならそれは効果的な宣伝である。アートはアイドラトリー(偶像崇拝、おそらくこの場合は存在しないものを崇拝するの意だと思われる)ではないし、宣伝でもないことに賛同する、ただし私は商品も宣伝もアートであり、すばらしいアートは必然的に両方になる。

どういうこっちゃっていうと、アートは商品であると同時に自身を売る宣伝でもある。「美」は人を引きつける力があり、だから宣伝にも使われる。アートが「美」を使うのは宣伝が自身の商品を売り込むように、自身の考え方(アート)他の人に売り込むツールである。だから美しいものを作ってもいい。だけど美しいだけじゃだめで、なにか訴えるものがなきゃアートじゃないっていって言ってると思います。ちがったらごめんなさい。(^^)

で、こんなにたらたたらかいてこの記事なんの答えにも到達してないんですけど、
アートの価値とお金と美ってすごっく複雑!ってことを言いたいのです。(無理矢理まとめた(^^))
ジェフクーンズの作品を見てなんか訴えかけてくる物はあるか?私にとっては特にありません。だけどああいうアートが売れるという事実がある。理由はそれなりにあると思いますが、なんでそこまで高く?って思います。だって全然売れてないけど素敵な作品作っている人たちもっといるじゃない!ジェフクーンズのアートがなんであんな高い値段で取引されるか正直わからんです。妥当かどうかも誰も分からないんじゃないかなぁ。なんか悩まされますww嫌いじゃない。でもああいうアートは作りたくない。

教授とはなしていて思うのですが、アートだけで食べていける人は本当に少ない。ほとんどの人は別の仕事もしていてアートも作るって感じだと思います。それを分かってアーティストになろうと思っていると思います。ほとんどの人はお金をつくりたいからアートやってるわけじゃないと思うんですよねー。私はジュディファフのアートが大好きです。理由はいろいろありますが、ひとつは大きくてサプライズがあるのに誠意が伝わってくるからです。ジェフクーンズも本心で「この花器は愛、暖かみ、幸せを意味しています。」といっているのか分かりません。それはそれで怖いです。誠意というものもあいまいですね。(^^)芸術闘争論読んで、村上隆氏の「一流アーティスト」ってなんじゃいって思ったので書きました。みんなそれを目指してる訳でも目指さなきゃいけない訳でもないんじゃ。とキャリアも名声もない、いつかソロ展覧会してみたい私の独り言でした。

最後に、本のなかで村上隆さんがアート史を知る重要性とか自由神話(アートはなにしてもいい神話)についてかいてありました。私が思うにどんなアートを作ってもいいけど、でもアート史(とくにでデュシャン以降)と今活躍中で自分のやっていることと関係しているアーティストの名前を知っていることは当然、みたいな風潮が西洋のアートシーンにあるようです(主に評論家の中で)だから自由だけど、自由じゃないみたいな。

ここまで読んでくれてありがとうございます。皆様今年もよろしくお願いします。
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