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アートを勉強して気付いた事

今更ながら、このブログを始めたきっかけなんかをたらたら書きます。
私がはじめてアメリカの現代アートの授業をとったとき、「この人たち、英語じゃないなんかの言語でしゃべっているのか?」というくらい意味不明でした。聞こえてくるのは英単語なのに、まるでしゃべっている内容がわからない。意味不明な絵を見ながら「あーでもない」「こーでもない」と長々と議論しており、「この人たち、私には見えない何かを見ているんじゃないか、、?」っとおもいながら絵とにらめっこしていました。でもいくら抽象的な絵画とにらめっこしところで何も分からないし、見えてこないし、いいとも思わない。

現代アートはひとつの言語のようなもの。どの学問の分野にも言える事ですが、その学問の言語(基礎知識)を学ばないと一般の人からみたらチンプンカンプンで、現代アートもその例外ではない。ただその言語さえ学んでしまえば、会話にはいれるようになります。しばらく現代アートを勉強したり、見たりしていると、それとなく作品が何を言っているのか不思議と読み取れるようになるのです(全部じゃない)。英語を勉強して、ある日映画館にいって字幕なしでもハリウッド映画が理解できるようになったみたいに。はじめて海外に行って、自分にとっての「普通」「あたりまえ」「事実」が世界共通の事実じゃないとわかったときのように、現代アートを勉強してから世界の見方が変わりました。

現代アートを勉強して気付いた事がいくつかあります。ひとつは、今の現代アートの世界では美しさは作品のすばらしさや価値と直接結びつかないことです。むしろ世間一般の言うただ「美しい」だけの作品を作るのは簡単だ、という認識があるように思います。「美しさ」を追求するのは芸術ではなくてデザインの領域になってしまったのかもしれません。もう一つは、作品としての質の良さと、それが好きか嫌いかというのは、別だということもわかってきました。「この作品あんまり好みじゃないけど、かしこいし評価される理由もわかる」という風に好みだけに左右されない物の分析力を身につけることができました。逆に「この作品の見た目は好みなんだけど、、、内容がないから好きじゃないなぁ」って思う事もあります。

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Mark Rothko, "Grey and Orange", 1960.

ものすごい高額のマークロスコ(Rothko)の絵画が売っていたとします。そんなの誰でもかけるし色が地味だし好きじゃない、と思ったとします。(ちなみに私はロスコが作品によりますが、結構好きです)でも、高額で取引される理由と人の好みはほとんど関係ないんです。個人的な意見ですが、「好き」か「嫌い」で物事を決めていたら、人は「慣れた」ものを選びやすいのでいつまでたっても似たような作品ばっかり誕生してしまってつまらない。ロスコのカラーフィールドペインティングを発表したのは1960年代。技術や3次元の再現をすべて捨て、新しい表現方法を登場させて、その後のアート界の方向性をいかに左右してきたか、ということかが評価されているからこそその値段がついているのだと思います。今でこそ平面的な絵画は増えて、そういう絵画も好きという人も増えてきましたが、そもそもロスコや他の1960年代に活躍した抽象表現主義のアーティストがそういう表現を促進してこなかったら、今「リアルな絵画と抽象的な絵画どっちが好き?」という質問さえもでてこなかったのかもしれない。それまで存在しなかった選択肢を良しとする感覚、新しい感覚を作り出すことはすごいことじゃないでしょうか。

一見ゴミに見えるようなアートかもしれないですが、どっかの誰かが時間と材料費を欠けて誠心誠意をこめて売れないのに、自分が「いい!」と思ったものを作っていることを思い浮かべてみましょう。残念ながら、ただ有名になりたいだけ、お金を作りたいだけ、観覧者を怒らせたいだけ、のアーティストももちろんいます。でもその人たちは少数です。ほとんどのアーティストは全然作品売れないですし、誰にも評価されないかもしれないのに作品作っている訳です。本気で現代アートが好きで、現代アートに何か信じる物があってアーティストやっている人がほとんどだと思うので、すぐに嫌いだと思わずちょっとわかろうとしてみてくれたら、作っている側の人間として嬉しいです。

私も現代アートで死ぬほど嫌いな作品もあります。アート界のトレンドが気に食わないときも多いです。本気でも気持ち悪いと思ったり、本気で怒りたくなる作品もあります。でも、まぁまぁ、まぁ好きでも嫌いでもない、まぁいいんじゃない?程度の中途半端な物がこの世の中で溢れる中、本気で好き!とか本気で嫌い!って思わせてくれるアートが私は好きです//毎日同じ事の繰り返しで何も感じない毎日の中で、プラスの感情もマイナスの感情も与えてくれる。特にマイナスの感情を感じる機会ってどんどん減っていっている気がするので、アートは私を怒らせたり気持ち悪くさせたりうつな気分にさせたり訳が分からなくて混乱させてくれる貴重な物です。物事の価値が有益か無益か、理論的かどうかで善し悪し判断される事が多いけれど、それだけじゃ計れない価値もあると思います。経済的には無益で、理論的に考えてただ時間と材料の無駄でも、アートだけじゃなくて、演劇も、音楽も、映画も文学も、ゲームも、アニメも、マンガも、感情に訴えかけて夢中にさせてくれるものはすごく大事!その感情に一番リアルに訴えかけてくれるものが私の場合たまたま現代アートだっただけで、それが他の分野より難しいとか優れているとか、そういうことをいいたいわけじゃないです。

現代アートが嫌い!詐欺じゃないの?と思っていた頃の気持ちを忘れずに、現代アートのおもしろさを伝えられたらいいなと思います。解説ではなく、読書感想文ならぬ観覧感想文です。最初の方の記事は、正直まだよくわかってない頃に、一生懸命調べまくって書いた記事なので読まれると恥ずかしいです//一応残しておきますが、今とは意見が変わっていたりもします。いつも読んでくれてありがとう。
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The Other(アザーの概念)

どうもお久しぶりです。非常勤講師の仕事もようやく慣れてきました。
でもそれだけではちょっと生活できないので、仕事を探しにニューヨークに引越してみました。誰か仕事あったら紹介して下さい(真顔)

今日はOther(アザー)という概念にまつわる他の概念とその問題点について簡単に描きます。正直、知識が曖昧なので「あぁこういうコンセプトもあるんだ」という風に捉えて下さい。

Orientalism(オリエンタリズム)
オリエンタリズムという単語はエドワード・サイードの本で有名になりました。簡単にいうと、西洋以外の国、アジア、アフリカ、中東の国を文学や美術の中で讃える動きです。19世紀になると西洋の各国でで帝国主義が広がります。帝国主義国が植民地を増やす際、記録を残すため画家や物書きををつれていったそうです。ドラクロワもその一人で、アルジェリアを征服した時そこにいたハーレムの愛人達を描きました。ドラクロワはアルジェリアの色鮮やかさに惹き付けられたと日記に書いています。

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Eugène Delacroix, “The Women of Algiers,”1834.

当然ですが、支配国という強い立場を利用できるからこそ、こういう絵もかかれるわけなので、あまり気持ちのいい事ではありません。こういった絵画は多くの場合、西洋にとって都合の良い理想化をした姿をかいていて、現状からかけ離れた姿を描く事が多いのです。まぁ実際自分たちが征服した事実はこの絵からは読み取れませんね!(^^)
オリエンタリズムの根本には、西洋の文化はその他の文化より発達しているという考えがあります。「アルジェリアのハーレムの女性はエキゾチックで素敵だ!」と言っていても、文明的には西洋に勝ることはないと密かに思っています。常に上から目線の褒め言葉なのです。あれです、女性同士でよくある「可愛い!(私には負けるけど)」って言い合ってる感じです。え?違うって(^^)?

Primitivism(原始主義)
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Paublo Picasso"Les Demoiselles d'Avignon", 1907.

上はピカソの「アヴィニヨンの娘達」ですね。ピカソがアフリカのマスクや彫刻を研究したことがキュビズム誕生の鍵になりました。
さて原始主義とは。その名の通り原始時代にもどろう!原始時代はすばらしい!もう現代社会は疲れた!現代社会は汚れきっている!原始時代こそ本来の人間のあるべき姿なんだ!原始時代はピュアだ!自然と一体化するのだ!もっとシンプルの生き方がしたいのだ!という考え方です。疲れたサラリーマンが、「このプロジェクトがおわったら田舎でパン屋を開くんや、、、」といってる感じです。19世紀のヨーロッパぼ現代人も、都会を離れて自然に囲まれながら畑を耕してシンプルに行きたいと考えていたのです。実際は原始時代には原始時代の大変さがありますし、田舎は田舎の大変さがあるのにね!問題なのは、この「原始」を指しているのが、いわゆる発展途上国(未開発国)のことをいっている場合が多く、そういった国を褒めているようで、用はそういった国の文化は自分たちと比べて「未発達」で「未熟」だと言っているのでいいことではないです。19世紀こうした「原始的」な文化からアートのインスピレーションを探す動きが広まります。他の文化の理解を深める事は良い事なのですが、勝手にその文化を「原始的」と決めつけ、そこの現地の人を「原始人」と同じにするのはいかがな物でしょうね。

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Paul Gauguin "The Spectre Watches Her", 1892.

こちらはゴッホと、一時期共同生活していた事でも知られるゴーギャンの作品。ゴーギャンも現代社会に疲れ、「汚されて」いない楽園を求めてタヒチ島でくらすことになります。そこで現地の女性達を色鮮やかな絵の具を使って描きます。ゴーギャンとしては、タヒチ島の風景や女性の美しさを絵を通してヨーロッパの人に伝える事で、タヒチ島の文化を守っていると考えていたようです。しかし、ゴーギャンはタヒチ島で愛人をたくさん作っていたらしいのです(中には13歳の愛人もいたとかいないとか)。無自覚でしょうが、ゴーギャンも「白人」という優位な立場を利用していたんですね〜。タヒチ島は、支配国出身者の立場を利用して植民地を眺めた場合のみ、楽園だったんですね〜。

Exoticism(エキゾシチム)
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Claude Monet "La Japonaise", 1876.

エキゾシチムとは一言で言うと「見慣れないものがもつ魅力」です。個人的にそれよりもしっくりくる定義はAlden Jones の"the representation of one culture for consumption by another”(一つの文化が他の文化を消費(利用)するために作られたイメージ)。海外の物ってどうしても魅力的に見えますよね?それは普段の生活ではあまり見る事がないからです。でも自分の国の物が勝手に他の国に変な風に使われていたらイラッとしたりもしますよね。

Other
これらの三つの概念は互いに密接絡み合っており、これら三つの根本にあるのが「Other」という概念だと思います。「その他」や「私たちと違うもの」、つまり「自分たち」と対比した単語になります。オリエンタリズムでは「西洋の人」と「西洋以外の人」、原始主義では「現代人」と「原始人」、エキゾシチムでは「自分の国のもの」と「外国の物」という風に、「自分たち」と「Other(違う人たち)」という風に区別しています。日本でいうと、日本人以外の人を「外人」と呼ぶのと似たようなかんじ?「Other」は「自分たch」というものがなんなのか、ということを定義するのに役立ちます。自分がそう「じゃない」ことが分かれば、そう「である」ことが分かります。
しかし、今まで見てきた3つの概念の例からみてもわかるように、「Other」だと認定した人は自分よりも「下」だと思いがちなのです。自分が誰かに劣っているなんて誰も思いたくないですもんね!

アートの世界では「Other」というテーマでいろんなアーティストが作品を作っています。現代社会だと「Other」の中には、外国の人以外にも、女性、人種的マイノリティー、セクシャルマイノリティー、マイナー宗教に所属している人なども入るかもしれません。アート史の中でヘトロセクシャルの白人男性以外は、近年までみんな除外されてきたので自分のアイデンテティを主張する価値があるのです。この偏見はまちがってるぞ!っていう風に。「Other」っぽさを除外しようとしているんですね〜。アメリカという多人種、他宗教国家だからこそ、ホットなテーマというのもあるでしょうね。

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Wangechi Mutu "Mask", 2006.

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Wangechi Mutu "Uterine Catarrh", 2004.

上はケニヤ出身のWangechi Mutuのコラージュ作品。ファッション雑誌の切り抜きやアフリカ彫刻をコラージュする事で、アメリカにおいての「アフリカ系アメリカ人女性」像というものはなにか、について考えさせます。どこかのCMにつかわれそうな典型的セクシーさをもつアフリカ系女性の写真と、美術館で飾られるような古代文化のアフリカ芸術をあわせたシンプルなコラージュ。一般の「アフリカ系」のイメージなんてこんな物ですよね(^^)でも「アフリカ」なんて国は存在しませんし、たくさんの国が集まった大陸であるのにも関わらず、私たちの中になぜか一つの「アフリカ系」という空想のイメージができあがちゃっていますよね。この2つのイメージが無理矢理切り貼りされた感じが、ステレオタイプにはめ込まれることの残酷さや窮屈さを感じとることができます。
殆どの人がもつ「Other」のイメージもテレビ、雑誌、広告、ニュース、ハリウッド映画や、他の断片的な知識をコラージュして作り上げたイメージのようなものですよね(`・ω・´)キリッ白人だからってみんな英語しゃべるわけじゃないし、金髪で青い目な訳でもないし、日本人だからってみんなおとなしい訳でもないし、ゲイだからって女言葉使う訳じゃないし、宗教やっているからって怖い人ってわけじゃないし。自分とは違うって思っている人と一対一でしゃべってみると以外と「あぁ普通だ」「あんま自分と違わないんだ」って思える物です。自分に取って普通の事が普通の事のように、自分から見たら変な物は相手に取っては普通。時代が進むにつれて少しずつ「私たち」と「その他の人たち(Other)」の境界線がなくなっているんだね。

あと、ちょっと前にツィッターで「セルフオリエンタリズム」という単語を目にして、なるほどおもしろい、と思ったので今日はこんなテーマになりました。西洋の人に受けがいいように外国っぽさ。「Other」ぽっさを強調して自分売り出すことが「セルフオリエンタリズム」らしいです。

なんとなく「Other」という概念が伝えられたら嬉しいです。説明下手でごめんね!
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