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アート勉強して気付いた事/デュシャンの便器/ポロック/ 知っておくと便利/ リアルに見える絵画は本当にリアル?

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アートとお金と美について

あけましておめでとうございます。今年もユルユルやっていくので、読んでいただけたら光栄です。
さて、前回緩い内容を書くと言っていたのですが、村上隆氏の「芸術闘争論」をよんだので、その感想とそれに絡めた話を書きたいと思います。ごめんなさい。今日の内容怒られるかもしれないですwでも私の感想なのでこういう意見もあるよ程度に読みながしてくれると助かります。

過去の記事を読んで思うのですが、私は村上隆さんを絶賛し過ぎだと思います(^^)ええ、今でも私は彼のアートに影響され尊敬します。と、同時に憎いです。前も書いたんですけど、尊敬してますが「なんで自分で作っていない物なのにあんなに売れるの?」(人の手が見られないアートがだめと言っている訳ではないです。それも作品のコンセプトだったりします。だけど私は人の手が入っているアートを見る方が好きです)「いくらなんでも売れ過ぎじゃないか?」と憎くて憎くて仕方がない時もあります。あれです。少女漫画で言う「いやなやつ!いやなやつ!いやなやつ!」と思っていた彼を好きになってしまう主人公みたいな心境です。(耳を○ませば)だから好きだか嫌いだか関係なく影響を受けている人物だとおもいます。スーパーフラット論をすべて信じるかというとそうではないけど確実に面白いと思うし、「私は絶対ああいうアートはつくらねぇ!」っていうのが原動力になっています。という訳でこのブログでなんだかんだいって一番記事が多いのは村上隆さんについてなんですよね。憎しみと尊敬かどっちかわかりませんが、とにかく触発されます。

「芸術闘争論」を読み終わって一番疑問におもったのは、
売れるアート=すばらしいアートということなのか?
私はそうは思わないなぁ。売れるにはそれなりの理由はあると思います。村上さんも本の中でアーティストとして成功するには、作品を作ること意外に、コネクションとか自分を以下に売り出すかとかについて書いています。特にギャラリーの話とかおもしろかったです。でも売ることを目的にするのはアートの目的じゃないと思います。(これは村上さんがそう書いている訳ではないです。念のため)

本の中にも出てきたジェフクーンズについて書きます。ジェフクーンズは村上隆さん、ダミアンハーストとよく同じようにアーティストグループでまとめられるように思います。作品はかなりの高額で取引されと同時にその価値を疑われる人物だと思います。特にアートを作っている人から。

たとえば下はジェフクーンズの作品です。
jeffkoons
Jeff Koons. "Puppy Vase".2008.

これは3000個作られ一個7500ドルとして売られました。これは果たして7500ドルの価値があるのか?もしかしてデュシャンの便器みたいになんか深い意味があるのか?と考えますよね(^^)。でもクーンズはこの作品についてこう説明しています。“The vase is a symbol of love, warmth, and happiness,”http://www.dailyicon.net/2008/08/jeff-koons-puppy-vase-available-for-750000/より
「この花器は愛、暖かみ、幸せを意味しています。」

あれ?(^^)
ジェフクーンズでも村上隆さんの作品でむずかしいのは、ほとんどの人が作品の見た目に引かれる事実がある所だと思うんです。作っているアーティストもそれを分かってやっているのです。かわいいわんちゃんの形でちょっと60年代を思わせる花器を見て「嫌い!」なんて思わないでしょう?でもこういうのは100円ショップでも売ってそうな感じがしますよね。これはどうしてアートになるのか?って思います。デュシャンの便器のようにその問いがこの作品の本質なのでは?って。それもあるかもしれません。でも作った本人はそういう意を込めたとは言っておらず、それはもうすでにアート界で行われてきたことなので高額の理由にはなりません。明らかにただ可愛いから、ただ人に好かれるであろう犬の花器を作ったのです。

ちょっと話をかえます。
前回の記事で書いたように、ポストモダニズムのあと、アートは美しくあるべきだという考えがなくなりました。人によってだいぶ美しいの評価基準は違うからです。(エジプトの壁画もヨーロッパの宗教がも浮世絵もみんなちがう「美しい」の基準で作られたんじゃないでしょうか)
Dave Hickey の Invisible Dragon Four essays on Beauty という本はは1990年代前半にそんな「美」に対する疑いの目についての問題を取り上げた本です。出版された当時はアートの世界で話題になったようです。(日本語訳出ているのか分かりません)
ヒッキーが言うには1980年代後半になると、アートは美しくある必要がないだけでなく、むしろ美しいものに疑いの目でみられる傾向がでてきました。美しいものは人を自然と引きつけるものです。美しいもの=売れるものという関連づけがなされはじめたからです。

西洋史のなかのアートはハイアート(美術館などに飾られるアート)ローアート(消費されるアート、ポスター、はがき、フィギュアなどの商品)をきっちりわけたがる傾向があります。日本では歴史的にその差はあまりないように思います。職人とアーティストのちがいがなかったように思いますし、今美術館で飾られている日本画はもともとは屏風のかざりだったり、浮世絵はポストカードなどの役目を果たしていたり、現代になって当時のローアートだと思われていたものをハイアートにしているような気がします。

とにかく西洋のアーティストはハイアートをローアート(商品として売る)にすることを拒みたい、消費社会から逃れたいという思いがあるように思います。だから大衆受けしやすそうな、「美しい」(「可愛い」も含めていいと思います)ものに疑いの目が向けられた。しかし同時にこんな苦労して作った作品を売らなきゃいのはもったいないし、それに「美しい」ものには引かれるのは事実であるし、といろいろ矛盾もある。

たぶん翻訳されていないので、ヒッキーのほんの一部から抜粋します。
Beautiful art sells. If it sells itself, it is an idolatrous commodity, if it sells anything else, it is a seductive advertisement. Art is not idolatry, nor is it advertising, and I would agree--with the caveat that idolatry and advertising are, indeed art, and the greatest works of art are always inevitable both. (Hickey, Dave. The Invisible Dragon. Los Angeles: Art Issues Press, 1993.16-17)
「美しいアートは売れる。もし作品が美によって自身を売ろうとしているのならそれは商品であり、もしそれ以外を売ろうとしているのならそれは効果的な宣伝である。アートはアイドラトリー(偶像崇拝、おそらくこの場合は存在しないものを崇拝するの意だと思われる)ではないし、宣伝でもないことに賛同する、ただし私は商品も宣伝もアートであり、すばらしいアートは必然的に両方になる。

どういうこっちゃっていうと、アートは商品であると同時に自身を売る宣伝でもある。「美」は人を引きつける力があり、だから宣伝にも使われる。アートが「美」を使うのは宣伝が自身の商品を売り込むように、自身の考え方(アート)他の人に売り込むツールである。だから美しいものを作ってもいい。だけど美しいだけじゃだめで、なにか訴えるものがなきゃアートじゃないっていって言ってると思います。ちがったらごめんなさい。(^^)

で、こんなにたらたたらかいてこの記事なんの答えにも到達してないんですけど、
アートの価値とお金と美ってすごっく複雑!ってことを言いたいのです。(無理矢理まとめた(^^))
ジェフクーンズの作品を見てなんか訴えかけてくる物はあるか?私にとっては特にありません。だけどああいうアートが売れるという事実がある。理由はそれなりにあると思いますが、なんでそこまで高く?って思います。だって全然売れてないけど素敵な作品作っている人たちもっといるじゃない!ジェフクーンズのアートがなんであんな高い値段で取引されるか正直わからんです。妥当かどうかも誰も分からないんじゃないかなぁ。なんか悩まされますww嫌いじゃない。でもああいうアートは作りたくない。

教授とはなしていて思うのですが、アートだけで食べていける人は本当に少ない。ほとんどの人は別の仕事もしていてアートも作るって感じだと思います。それを分かってアーティストになろうと思っていると思います。ほとんどの人はお金をつくりたいからアートやってるわけじゃないと思うんですよねー。私はジュディファフのアートが大好きです。理由はいろいろありますが、ひとつは大きくてサプライズがあるのに誠意が伝わってくるからです。ジェフクーンズも本心で「この花器は愛、暖かみ、幸せを意味しています。」といっているのか分かりません。それはそれで怖いです。誠意というものもあいまいですね。(^^)芸術闘争論読んで、村上隆氏の「一流アーティスト」ってなんじゃいって思ったので書きました。みんなそれを目指してる訳でも目指さなきゃいけない訳でもないんじゃ。とキャリアも名声もない、いつかソロ展覧会してみたい私の独り言でした。

最後に、本のなかで村上隆さんがアート史を知る重要性とか自由神話(アートはなにしてもいい神話)についてかいてありました。私が思うにどんなアートを作ってもいいけど、でもアート史(とくにでデュシャン以降)と今活躍中で自分のやっていることと関係しているアーティストの名前を知っていることは当然、みたいな風潮が西洋のアートシーンにあるようです(主に評論家の中で)だから自由だけど、自由じゃないみたいな。

ここまで読んでくれてありがとうございます。皆様今年もよろしくお願いします。
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コメント

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アート史を知らずに創作するのは、ただの趣味ですよね・・・趣味ならよいとおもいます。

ああ!暗くならないでください!!私がアメリカでアーティストの自分の作品について語る講演会にいったときに、質問タイムで「○○を知っているのか」とか「○○はもうすでに○○というアーティストがやっている」って言うのを目撃したことが何度もあります。そのときもしニューヨークとかでアーティストデビューするなら、人がやってきたこと、やっていることを知る大事なんだなって思いました。悲しいけれど、そういう質問されたときにいろいろ知っていないと、作品がそこそこでも「この人わかってないな」って呆れられちゃう現状がそれなりにあると私は思っています。それが正しいのか正しくないのかはおいておいて。

アート史知らなきゃいけないってわかりながらも、同時に窮屈だなぁって思います。今までのアーティスト全員の全作品なんて知れるはずないし。こういう表現したいのに、もう他の人がやったから駄目とか意味わからないしw
あぁ、でもアート見るの楽しかったら、全部じゃなくて自然とちょっとずつアート史って頭に入ってくると思いますし、誰もすべてを知っていろとは思っていないと思います!!暗い気持ちにさせてしまってすみません。(´・ω・`)

はじめまして

お邪魔します。

私は村上隆氏について、名前と作品ちらほらとフィギュアが凄い値段で売れたということくらいしか知りませんが、なんとなくマーケティングがお上手だから作品が売れるのではないかと勝手に思っています。

美術作品だと文学や音楽や演劇とは異なり作品が唯一のものであるため、その価値が高騰するという話を聞いたことがあります。
その結果価格が高すぎて市場にうまく乗らない、だからマーケティングの上手い下手で作品の値段が決まっちゃうのかなぁと、記事を拝読して思いました。

そして横レスになって恐縮ですが、「他の人が既にやったからもうその表現ダメ」っていうのは、つい最近カイカイキキとカオスラウンジ間で起こったようですね。
カイカイキキ側の方の作品に、カオスラウンジ側の出した作品が酷似していたとか。
ツイッターで村上さんが荒ぶっていらしてちょっと怖かったです。笑

長々と拙文失礼いたしました。

Re: はじめまして

こんばんわ。てあらさん。
私もツィッターみてました!タイムリー!やっぱりオタク文化っていう絞ったテーマを追求する者同士過去にされたことは知っていて、似ているにしてもなぜ似ているものをあえて作ったかがはっきりしていないときついだろうなぁって読みながら思いました。でも同じテーマで追求するにしてもそろそろそういう直接的な表現じゃなくてもっと!なんか!こう!クリエイティブな表現のある作品が見たい!という感想でした。実物見てないのであんまり言えないですが(^^;)ところでカオスラウンジと村上隆さんっていつごろから仲が悪くなったのでしょうwどなたか知っていたら教えてほしいです。


村上隆さんはマーケティングにも関わると思いますが自身の作品のプレゼンが超うまいと思います。スーパーフラット論のようにアイデアもはっきりしていて自分の立場をはっきりとさせて聞く人にとっても分かりやすし、村上さん自身が自分の作品についてオープンに説明したり文章を書いているので、それも売れる理由かなって思います。またオタク文化をアートにしようした人がアート界ではいなかったことも影響しているでしょう。でも私は作品も時と場合おもしろいと思いますし、スーパーフラット論もすべてに賛同しなくても興味深く読みました。それにしても売れますね...!

ちょっと市場のことはくわしくはわからないのですが、てあらさんの言うようにマーケティングで微妙な作品が過大評価されることはよくあるように予想します。だからそういう事態を避けるためにキューレーターとか評論家の人は「良い」作品が選び出し一般の人の目に触れさせる役割を果たして、そういった人たちの評価も値段に関わってくると思います。

長文どうもありがとうございます!読んでて楽しかったのでまた意見があればどんどん書いていただけたら嬉しいです。

>売れるアート=すばらしいアートということなのか?

ではないと思いますが、人々が多様化しアートの内容が多様化した場合、万人に共通の「良い」「悪い」というものがなくなった場合、お金というものが最も基準のものさしとして働いているのだと思います。リオタールあたりが金銭のリアリズムといってるのがそうでないでしょうか。

Re: タイトルなし

こんにちわ通りすがりさん。返事遅れてしまいました。
リオタールって前よんだことある気がするのですが、通りすがりさんのおしゃっている部分がちょっと思い出せませんwごめんなさい。今度調べておきます。「お金というものが最も基準のものさし」の「基準」というのは何の基準でしょうか。「作品としてのすばらしさ」でしょうか、それとも人々がその作品に与える「価値」のことでしょうか?

10年ほど前に知人が飾っているのを観て購入しました。実物を観て、触れてみて確かにこの花器は愛、暖かみ、幸せを感じます。当時は意味もジェフクーンズ知らずただ素敵だと思っていましたが、素敵な訳がやっと解りました。値段も一個7500ドルもしなかったです。桁を間違えていませんか?でばければ私はラッキーだったのかな?値段は人間が決めただけの価値であって本質ではないと思います。見る目を狂わせます。

Re: タイトルなし

こんにちわ。7500ドルという金額は2008年のジェフクーンズの作品を取り扱うガゴージアンギャラリーのニュース記事を参考にしたものです。桁は間違っていません。はじめて発表された1998年と値段が同じだったのか、ぱっと調べてみたのですが、見当たらなかったので分かりませんでした。オークションによっては今は3000-5000ドルで売っているというのも見ましたし変動が激しいのかもしれません。ccccccc7さんはたまたま値段が下がり気味のときに買えたたのかもしれませんね。

> 10年ほど前に知人が飾っているのを観て購入しました。実物を観て、触れてみて確かにこの花器は愛、暖かみ、幸せを感じます。当時は意味もジェフクーンズ知らずただ素敵だと思っていましたが、素敵な訳がやっと解りました。値段も一個7500ドルもしなかったです。桁を間違えていませんか?でばければ私はラッキーだったのかな?値段は人間が決めただけの価値であって本質ではないと思います。見る目を狂わせます。
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