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フェミニストアート その2 The Male Gaze

今日は久々に歴史カテゴリ。ヒュウィゴー!今日のテーマは、
”The Male Gaze" 男の目線

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Afred Hitchcock, "Rear Window," 1954.

この単語は元々イギリスのフェミニスト理論家のLaura Mulveyが1973年に書いた"Visual Pleasure and Narrative Cinema"(訳:視覚快楽と物語映画)という論文にかかれています。
マルヴィーによると1950年代から1960年代に作られたハリウッド映画はのほとんどは、視聴者がヘトロセクシャル男性を前提としている、といってます。(もっというなら白人男性)このころの映画監督はほとんど男性です。映画の主人公もほとんど男性です。視聴者は主人公と最も共感し、主人公の立場から物語を見ます。無意識に視聴者は男主人公の視点からスクリーンで繰り広げられる物語を経験することになります。
なのでこのころの映画に出てくる女性は、ただの主人公や視聴者の性の対象として登場するだけであり、ヘトロセクシャルな男性視聴者を意識した視覚快楽のための、「見られるための存在」といえるとマルヴィーはいいます。それ以外にあまり重要な役目を果たしません。うーん鋭い。
(全文に興味あるひとはこちら

これには明らかな問題点がありますね。人類みんなヘトロセクシャルな男性じゃないということです。

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William-Adolphe, Bouguereau, "The Birth of Venus," 1879.

The Male Gaze という単語はアートの世界にも輸入されます。上は明らかに男視線であることがわかります。中心にいるヴィーナスは周りにいる男たちや天使、また絵画を見る人に裸の体を見せびらかすだけの存在と化しています。ポーズも「かもん!」とさりげなく誘っているかのような、まったく攻撃性を感じない物です。またヴィーナスは視線をそらしていますが、これもMale Gazeの特徴のひとつです。観覧者(見る側)とヴィーナス(見られる側)の力関係を表してします。視線をあわせると、必然的にヴィーナスの性格や内心を考慮しなくてはいけなくなり、自分と対等またはそれ近い存在と認めざる得ません。ただの物体としてみれなくなってしまうのです。誰かに面と向かって文句を言うより、顔が見えない相手にインターネットとかで文句を言うのが簡単なのと同じ心理状態でしょう。

私たちは 美術=裸婦像 というイメージを普通にします。でももしも「芸術家」が男性だけの職業という固定概念がなく、女性も評価されていたらおそらくここまで裸婦像はかかれなかったと思うんですよね。かかれたとしても上記のようなエロスを意識したヴィーナスみたいな作品は今より格段に少なかったはずです。

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Titian, "Venus of Urbino," 1538.

ヒッチコックにしてもヴィーナスの絵画にしても、時代が変わろうとも女性の描かれ方に共通点があることがおもしろいですよね。流し目、ちょっと交差された足、なにかいいたげな肩とか!

上記はティシャンの有名な裸婦像。手で股間を隠していますが、手つきがエロいので、逆に股間に目がいくようになってます。また背景にある黒い壁の縦線やベッドの横線をたどっても股間部分に目がいきます。構図が女性の性部分を強調するように計算されていることがわかります。また背景にある建築の直線がヴィーナスの女性らしいカーブを強調させています。直線は昔から男性、曲線は女性と関連づけられます。視線は一応こちらを見ていますが、「こっちにきたら?」というように、観覧者を見返す強い視線というよりは誘っている受け身の視線としてとれます。

Manet-_Olympia.jpg
Edouard Manet, "Olympia," 1863.

上記の絵画はマネ(モネじゃないよ!マネだよ!)がティシャンの絵画からインスパイアされたものだといわれています。しかし、これは発表当時酷く批判されました。ティシャンの絵画はヴィーナスを描いているのに対し、マネは娼婦の絵をかいたからです。それは彼女が身につけているものから当時のパリの人には分かるようです。右に見える黒い猫も娼婦であるシンボルらしい。ティシャンのヴィーナスの手はわざと股間が目にいくようにするセクシーなジェスチャーですが、マネの女性の手はしっかりガードする役目を果たしています。
また、今までのヴィーナス像は頭が小さく体がひょろりと長い2次元ならではの理想体系ですが、マネの女性はわりと本物の女性に近いプロポーションをしています。また最も大きな違いは女性の視線です。しっかりと観覧者をみつめています。見る人になんとなく罪悪感を感じさせます(^^)
マネの女性の描き方は、女性をただの男性の目を楽しませるための物体(エロ本みたいなね!)から、ちょっと人間らしさを与えているように思えます。

さてここからはMale Gazeという概念を壊そうとする現代の作家をちょこっと紹介します。

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これは「ゴリラガールズ」というフェミニスト集団。身バレしないようにゴリラのマスクをかぶって活動します。上記のポスターにはこうかかれています。
女は裸にならないとメトロポリタン美術館にはいれないのか?
美術館で取り扱うモダンアートの5%以下が女性作家の作品です。でも描かれるヌードの85%は女性です」

わかりやすくて力強いメッセージ。ちなみにポスターに使われている絵画はアングルの有名な裸婦像。
ウェブサイト→http://www.guerrillagirls.com/

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Monica Cook

裸婦像=美しい、エロい というイメージをぶちこわす気分が悪くなるようなグロテスクな絵画。それでもどこか惹かれますね。ウェブサイトも充実しています。
http://www.monicacookart.com/

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John Currin, "Entertaining Mr. Acker Bilk," 1995.

元来の「女性像」というものをパロディしています。女性の顔が男性の影になって胸だけに目がいきます。まるでそれだけが重要というように!男性が年老いた知的なファッションをした白ヒゲであるのに対し、女性は金髪で若いです。また男性が女性より高い位置でしかも絵画の中心であるのに対し、女性がそのわきにひっそりいることも、昔の男女の価値観を簡潔に表現しそれをおちょくっています。もっと見たいからはこちら↓

http://www.saatchi-gallery.co.uk/aipe/john_currin.htm

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Will Cotton, "The Only Paradise is Paradise Lost," 2007.

パロディとは、すでに存在する他の芸術媒体を比喩したり、強調したり、おもしろおかしく伝えることでその模範している対象物を評論する役目を果たします。サウスパークなんかがよく使う手法ですね。今まで紹介したマネからカーリンは昔の作品、広告、男女の価値観、を何らかの形でパロディして元来の女性=ただエロスの対象物という見方を批評していることがわかります。
さて、最後のコットンはどうか?彼もピンナップガールや広告をパロディしています。女性とスィーツを組み合わせてとってもセクシーで魅力的な画面を作っています。女性もスイーツと同じように食べたくなるよう魅力をもっているという意味で同じ、女性を物体として扱う、という古い価値観をパロディしている、ということがしたいということは伝わります。しかしそれは果たして成功しているのか?
パロディした対象を批評する役目を果たしているのか?それとも単に昔ながらの価値観を受け入れて対象物と同じになってしまっていないか?コットンに関しては後者であることが多いような気がします。でも絵の具の使い方はうまいし、見た目がいいので好きになる人も多い気もします。

http://www.willcotton.com/

小さい頃から男の視点にたたされる/女性を恋愛対象としかみない映画、アニメ、小説、漫画ばかりに触れ、それが自然になりそれが人間の万事共通の視点と教育される事は、人間の無意識にどのような影響が出るかについて興味があります。

女性の視点で作られた映画や絵画はどのようなものなのでしょう?ゲイの視点は?レズビアンの視点は?バイの視点は?やはり自分の作り出した作品は自分の世界の見方に近づきます。だからこそ、いろんな人生を送ってきた、色んな人種、いろんな性別の作家や監督の作品に触れたいものです。万事共通の真実の視点なんて存在しません。

今まで西洋美術史の話をしてきました。日本もmale gazeという概念は適応するのか?女性がお色気担当というのは一般化してるでしょうか?たとえばドラえもんでしずかちゃんのお風呂シーンも男性視点が明らかな物もあります。萌えアニメとかもね!でも半数の人は別に女性のお色気シーンなんてなんとも思わないですし、男性視点の娯楽ばかりが増えることはもう半分の人たちを無視しているいことになります。だからといって男のお色気シーンをいれればいいかっていうとそう単純じゃないんですけどね。

そう考えるとセーラームーンだったり、プリキュアシリーズだったり、ジブリシリーズだったり、女主人公のアニメが比較的多い日本は興味深いものがあります。一方で女性が共感しやすいアニメと思いきや、男性も萌も萌えできる男性視点の面ももっています。短いスカートで戦ったり、変身シーンとかセクシーですよね。またその逆のBL文化とかも面白いですね~。複雑!
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コメント

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フェミニスト・アートの記事についてですが、ティシャンというのは英語圏の呼称で、日本ではティッツィアーノと表記するのが通常です。

また、芸術作品における視線の男女差についてはイギリスのフェミニズム美術史家、グリセルダ・ポロック(Griselda Pollock)の著書「Vision and Difference」(和訳:視線と差異)が非常に明快な論を展開していますが、お読みになりましたでしょうか?男女での視点の違いについて述べた著作としてはもはや古典的なものだと思いますが、このポロック教授、ほかにもなかなか刺激的で示唆に富む指摘をたびたびしています。

また、アメリカの美術家、シンディ・シャーマンはコスチューム写真の連作において、アメリカ社会における男性中心主義を皮肉ったシリーズも手掛けています。そちらのほうが痛烈な批判精神に満ちていてよりわかりやすいと思ったのですが。
かつて、東京現代美術館でシャーマン展が行われた際、ポロック教授の翻訳も手がけた荻原弘子氏が公演をなさってましたが、男性視線について歯に衣着せぬ調子で吼えてました(笑)
あまりに吼えすぎて質疑応答の時間がまったくなかったのは印象的といっていいのか、なんなのか…(苦笑)

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