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アート勉強して気付いた事/デュシャンの便器/ポロック/ 知っておくと便利/ リアルに見える絵画は本当にリアル?

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展覧会のレビューなど

ハッピーハロウィン、メリークリスマス、良いお年を、あけましておめでとう、ハッピーバレンタイン、お久しぶりです。最近みた展覧会のレビューでも書こうかと思います。

Mike Kelly-----PS1
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マイク•ケリーは、複数のぬいぐるみを結合させた彫刻を作る事で知られるアーティストです。ぬいぐるみをモチーフにした作品以外にも、彼のそこまで去られていないビデオアートやスーパーマンをモチーフにした彫刻も置いていました。

子供のおもちゃであるぬいぐるみのもつ純粋なイメージは、ぬいぐるみのバラバラにされ再び再構築されたキメラのな不気味さや、ぬいぐるみの性的なポーズを、余計変態的に感じさせる、、、、はずなんですが、私がロリコンアニメで溢れる日本で育ったせいか、こういった子供っぽいものに性的暴力的なことをさせることに衝激を感じませんでした。 残念です。ほんとうに。一般アメリカ人からすると、マイク•ケリーの作品はかなりショッキングなものを感じるらしいです。マイク•ケリーの作品を見た人の中には、ケリーはは精神に異常があり、小さい頃に性的な虐待を受けたのが原因ではないかと思う人もいるらしいです。そんな事実はとくにありません。マイク•ケリーは2012年に亡くなっていますが、ウェブサイトは残っているので、もっと作品を見たい人はどうぞ。

http://mikekelley.com/


Chris Burden-----New Museum

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クリス•バードンといえば、アシスタントに自分を銃で撃たせたパフォーマンスアート作品"Shoot"で有名ですが(パフォーマンスアートの過去記事参照)、最近は彫刻も作っているみたいです。取り扱っているテーマはは戦争や権力といった重いテーマものが多いのですが、おもちゃを使ったり、ユーモアをまぜてみたりしていて、なかなか面白かったです。クリス•バードンってただのドM野郎じゃなかったんだ!とおもいました。展覧会で特に人気だった作品が「Tower of Power」(権力の塔)という作品です。細い階段を登った所に、壁にテレビくらいの大きさ穴に展示されていました。30分待ちの列があり、階段の前に警備員が立っており、一人ずつでしか作品が見れないように見張られていました。私は友人とこの展覧会にみにいっていたのですが、「最近入場者数を限定する展覧会やインスタレーション作品はやっているよねー。」という話をしながら待っていました。

さて、やっと自分の番になりました。
30分も待たせたんだから、さぞ面白い作品が
待っているんでしょうね!
期待して階段を登ると、、、、、



















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展示されていたのは、がっかりするほど小さなガラスケースに入れられた金の板作られた小さな山。周りにはマッチ棒で作られた人形。やられた!(^^)
こんなものを見るために30分並んだのがばからしい。作品のタイトルから分かるように、これがバードンの目的だったのでしょう。近頃、MOMAの雨の降る部屋だったり、チェルシーのギャラリーでの草間弥生さんの個展など、観覧者数を
わざと限定する作品が多いのです。そのため、1つの作品を見るのに2時間3時間待ちなんてこともよくあります。

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ギャラリーに入るのに並ぶ人、チェルシー

しかも、列に並ぶ人は観光客だったり一般の人だったり、普段はあまりアートを見ない人が増えていたりします。現代アートに興味をもってくれる人が増えることは非常に嬉しい事なのですが、アートがテーマパークのアトラクション化して、美術館やギャラー側が入場者数を増やすために話題性が大きい作品や高度な技術を使った作品ばかりを展示したりすると、取り扱う作品が偏ってしまうという問題も発生します。バートンの「権力の塔」はそんなアート界の現状を皮肉たっぷりに表現しているように思います。ちなみに、こういったアート界のルールや構造自体をアートが批判したり評論したりするアートの事を Institutional Critique(組織評論)とよんだりします。この言葉も近年よく耳にする言葉です。

Johannes Vermeer-----The Frick Collection
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クリス•バードンの「権力の塔」にこりることもなく、翌週はフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見るために真冬のニューヨークで美術館の外で3時間半待ちました(気温ー5度前後)。展覧会の最終日にいったのがいけなかったんですけどね!フェルメールは今まで何点か見てきましたが、正直、そこまで感動したことはなく、なぜここまで人気があるのか未だによくわからないです。なので、他のフェルメールの作品だったらスルーする展覧会だったのですが、「真珠の首飾りの少女」だけは見ておきたかった!なぜかというと、ピーターウェーバー監督の"The Girl with a Pearl Earing"という映画があったから。(見ていない人は是非見てみて下さい。すべての場面が絵画みたいでとにかくきれいなので、大きな画面で見る事がおすすめします。)
さて、肝心な実物はというと、、、昔の絵画でよくありがちですが、思ったより小さいです。たしかに色や光はキレイです。真冬に3時間外で待つ価値はあるかと聞かれると困りますが、見てよかったとは思います(^^)。ただ、隣の年上の女性がその絵画を見て「いまにも本当に動き出しそうね。」という感想を述べていて、なんとなくテンションが下がりました。



もう1、2個、展覧会のレビューがあるのですが、次回にします。コメント、拍手ありがとうございます。ありがたく読ませていただいています。もう遅いかもしれませんが、コメントの返事ぼちぼちしていきます。

構図のはなし

皆様お久しぶりです。まったく更新がないにも関わらずコメントや拍手を残してくれた方、
ありがとうございます。全部ちゃんと読んでいます。とても励みになります。

さて、今日は絵画に置ける「構図」の話を書きます。現代アートを目的でこのブログを読みにきている方は申し訳ない。現代アートで、デッサンは必要ないという人もいるかと思いますが、絵は「彫刻」「映像」「インスタレーション」より身近ですし、表現方法が限定されている分、見る力を鍛えるにはもってこいでと私は思います。一般的に学校で構図を作る時に注意されることとその理由について書きながら、「いい構図」とは何かを考えていきたいと思います。
今回は構図だけについて話します。色、明暗、絵の内容とか、そういう要素はすべて省いて話をすすめます。

1.モチーフを画面の中心に置かない


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Philippe de Champaigne "Skull with Still Life", 17th century
生物学的理由があるか分かりませんが、人間はなぜかバランスのとれたもの、左右対称のものを好みます。なので、ただ感覚で絵をかこうとしてしまうと、どうしても自分の描きたい物を中心におきます。左にものをおいたら、バランスをとろうとして、右にもおかなければいけないという感覚が自然に発生します。
左右対称のバランスのとれた絵、画面の中心にものをおいている絵が「いい」構図だと感じるであれば、あえて「気持ち悪い」構図を作るように意識するとかなり勉強になります。

なぜものを画面の中心においてはいけないのか。単純に「つまらない」構図になりがちだからです。見る人にとっても「理解しやすい」構図なので、絵を一瞬見ただけで満足してしまいます。上記の絵では、「ドクロ」が絵の「主役」だということが構図から一瞬でよみとれます。横に添えられた花や砂時計は、その引き立て役で、背景は存在しないに等しいです。

たとえば、小説でクライマックスが最初のページにきていたら、読者はもうその小説を最後まで読む気がなくなってしまいます。絵も、クライマックスにたどりつくまで少し視聴者の目を遊ばせた方が、画面の隅々までみてくれるはずです。絵は、描かれている物だけが重要なのではなくて、画面すべてが重要な役割を果たしている考えなくてはいけません。

上記の絵に関して一言言っておくと、必ずしも「理解しやすい」絵だといっているわけではありません。ドクロと、いつか枯れるであろう花、砂時計、作者はおそらく「死」や「時間」といったことをテーマにしているのでしょう。ただ絵の複雑さは構図からきていものでなく、モチーフが連想させるイメージとその組み合わせからきているものです。
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Massaccio, "Holy Trinity", 1425
左右対称の構図が有効なときもあります。たとえば、宗教画です。
一番中心にキリスト。その下両脇ににマリアと聖人ヨハネがひざまずいています。さらにその下は、この絵を注文したと思われるパトロンがひざまずいています。観覧者がこの絵を見て、最初に見るのはキリストで、そのあとにマリアやヨハネ、そのあとにパトロンたちに気付くでしょう。

キリスト教において、最も重要なのはキリストで、下にひざまずいているマリアやパトロン達はその二の次になります。観覧者の目が、キリスト→マリアとヨハネ→パトロン、と人物を見る順番が、実際に教会においての地位をあらわしているので、絵の伝えたい事と観覧者の目の動きが一致しているの、この構図は有効なのです。

左右対称でおもしろい絵はたくさんあります。でも、これからデッサンする!って言う人は基本的に左右対称の構図は避けた方が良いです。美術館に行ったとき、一つの絵画を何秒見れますか?あるミュージアムキュレーターによると、一般の入場者が、一つの絵画を見るのに使う時間は平均1〜2秒なのだそうです。ただでさえ、絵を見てくれる時間が少ないのに、それが一瞬で理解しやすい作品だと、1秒も見てくれないかもしれません。

2.観覧者の視線を逃がさない
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Juan Sanchez Cotan "Wuince Cabbage, Melon and Cucumber", 1906
上記の絵をみたとき、どこからみますか?また、最後に目はどこにいきつきますか?
おそらくこんな流れかと思います。

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左上の角から、右下の角にいく流れ?勢力?なんていうんでしょう、がかなり強いです。
この構図にはちょっと問題点があります。リンゴ→キャベツ→メロン→キュウリという順番でものをみていったときに、キュウリになどりついたあと、観覧者の目は画面外に放り出されます。画面外に放り出されるという事は、その絵に興味がなくなるきっかけを構図が作ってしまうことになります。
ちなみに、なぜ右下から左上ではなく、左上から右下に矢印が向かっていないのかというと、リンゴやキャベツが天井からぶら「下が」っているので、「下」に押す勢力が強くなっているから、右下から左下にはいかないようになっています。

次の構図はどういう流れになっているか?

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Paul Cezanne "Still Life with Apples", 1890-1894.

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テーブルの丸みの線がかなり強いので、観覧者の目はテーブルのふちをたどって、ぐるっと画面を回った後、右下の布に画面の中心へと押し上げられます。観覧者の目は、画面の外にいかないような構図になっているわけです。また、クライマックスであるテーブルの上のりんごをより引き立てるために、たどりつくまで視聴者の目に旅をさせます。右上隅には金属製の楽器のような物が、左上隅には戸棚っぽい物が、左下隅にはテーブルのふち、右下隅には、布や果物といったように、ただ観覧者の目を無意味に画面を一周させるのではなく、クライマックスにたどりつくるまで、ちょっとしたおもしろい小話をいれるのです。


次はどうでしょう?

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Paul Cezanne "Still Life with Apples", 1890-1894.

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まるでアリジゴク!

3.余白をうまくつかう
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Ando Hiroshige, 1797-1858.
空いているスペースがあると、つい埋めたくなってしまうのも人間の習性です。でも、画面の上では、「余白」は「紙の余り」や「書く事がなくなった」無駄なスペースではありません。

上記の広重の絵、右側にほとんどなにもかかれていませんが、「余り」に見えませんよね?それは、女性の視線が右上に向けられていることと、彼女の仕草が右上に何かあるかのようにほのめかしています。何も描かなくても右のページがうまく活用されています。右ページがすっきりしているため、逆に観覧者の想像で埋めることで、面白みが生まれるという事もあります。誰かに手を振っているのか?なにか動物がいるのか?船がくるのか?とかね。

まだまだ構図に関して言える事は山ほどありますが、長くなったのできります。一概に「すばらしい構図」というものは存在しません。すばらしい構図は「何が言いたいか」によります。「落ち込んだ気持ち」を表したいと思っているのに、セザンヌの静物画みたいにゴチャゴチャで、人の目を活発に動かす構図は適しません。逆に、ドラマチックな戦いの場面を描きたいと思ったときに、左右対称の安定した構図は適しません。

どんなルールでも例外はあります。上記のルールをすべて従ってしまうと「優等生っぽい」つまらない絵になってしまう可能性もありますwルールを知っておいと、ルールを従うも壊すも、すべて自分でコントロールできると良いですよね。

どうでしょうか?結構アート専門にやっている人もこのブログ読んでいることもあるみたいですが、基本的なことすぎてつまらなかったでしょうか、、?次回は現代アーティストについて書くようにします。

Francis Alÿs

一年の25%がおわろうとしていますが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。今年は制作のほうに打ち込みたいと思いますので、自分が作っている物もアップできたらなぁなんて考えています。更新のない間にコメントくれたり、拍手くれた方ありがとうございます。ちゃんと読んでます。実は仕事が変わって、あまりアートに触れない仕事にってしまったので前みたいに書きたい事が思いつかないのです。更新ないのはそのためで。

先々週くらいに久しぶりにギャラリーをまわってみたので、その中で特に気になった作家について書きます。ニューヨークのアートといえば、MOMA(ニューヨークの現代美術館)、メトロポリタン、ホイットニー、グーゲンハイム美術館思い浮かべると思いますが、そこに展示されている作家さんというのは、キャリアが長くもうすでに有名な作家さんが多いのです。作品も「完成」されているものが展示されています。なので、もっと若い作家の作品が見たい!という人はギャラリーをみることをおすすめします。ニューヨークの中でもギャラリーが集中している地区がいくつもあり、チェルシーはそのなかでも特に有名なギャラリーが集中しています。

気になった何人かの作家を紹介します。(長いので記事を分けます)
Francis Alÿs
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Francis Alÿs, "The Color Bar Paintings", 2011-2012.

テレビのカラーバーを油絵にした作品はそれほどめずらしくないのですが、いままでみてきたカラーバー作品は、ポップでうるさく主張する作品が多いのに対し、Alÿsのカラーバーは静かで、小さくて、やわらかくて、しかも手作り感があるのが新しいと感じました。おちついた白いキャンバスはミニマリズムを思わせ、、カラーバーはポップアートを思わせ、その相反するミニマリズムとポップの組み合わせておもしろいと感じました。
描かれたている風景はどこか中東らしい国の人たち。でもそれしか読み取れません。テレビニュースをみていると、つい海外の事情がわかった気になってしまいます。わかりやすく情報が整理されています。この絵をみていると、テレビに流れるニュースを見ているときと逆の感覚になります。見ているのにわからない、わかる気がするのにわからない、そんな感じ。


Francis Alÿs, "Reel-Unreel", 2001.

"Reel-Unreel"という映像作品は、アフガニスタンの少年21人がフィルムロールを転がし、もう一人の少年がのフィルムを巻き取る話です。ネットでも全部みれますので、ぜひみてみてください。

最初の反応:フィルムもったいねーーー!!

それはさておき、この映像のすごいところは単純なストーリーなのに、最後までみてしまうことです。その理由はいくつかあると思うんですが、まず画面がキレイ!アフガニスタンの灰色がかった土と、カラフルなゴミ袋、場違いな風船、にぎやかな市場の対比が美しいのです。

その次の魅力は、2人の少年が遊んでいる所を追っているだけで、なんとなく少年達の住む町の雰囲気が伝わってくるのです。最初は、子供達がたくさん遊んでいる丘の上から始まり、住宅街のある坂を下り、にぎやかな下町を通り、また丘に戻っていきます。旅番組のように、不自然に特別インパクのある場所ばかりを紹介されるのではなく、とっても自然な感じで町の様子が伝わってきます。

最後に、どうしても気になってしまうのが「戦争」の影。一件子純粋に遊んでいるところを映した映像。嫌でも視聴者に戦争を思い浮かばせるへリコプターや町を歩くの兵隊がちらちら画面の端に映っているのです。だからといって特に「戦争」というテーマを大きく取り上げている映像作品でなく、何か強いメッセージを訴えかける作品でもなく、ただどこか遠い国の「日常」を自然にみせている感じの映像が興味深いと感じました。私がわりと平和な環境で育ったからこそ「兵隊」や「ヘリコプター」がでてくることに過剰反応してしまうのかもしれません。少年達にとっては、マーケットに兵隊が歩いているのは日常なのかもしれません。そういった他の人の「日常」に過剰反応してしまう事が、自分の育った「日常」というものがどういうものかを考えさせられます。

この作品にはほとんど台詞がありません。最後に字幕でこうかいてあります。

On the 5th of September 2011,
2011年9月5日、

the Taliban confiscated thousands of reels of film from the Afghan Film Archive
タリバンはアフガンフィルム保管庫から何千ものフィルムのリールを集め、

and burned them on the outskirts of Kabul.
それらをカブールの郊外で燃やした。

People say the fire lasted 15days.
その火事は15日続いたと言われる。

But the Taliban didn't know that they were mostly given
でもタリバンは知らない、渡されたフィルムの

film print copies, which can be replaced
ほとんどがコピーだったことを、

and not the original negatives, which cannot.
取り替える事のできないオリジナルではなかったことを。


個人的にこの字幕を読んで、コピーならフィルムもったいなくないか、と安心しました。子供がコピーのフィルムリールをまわして遊んでいるように、タリバンがオリジナルフィルムではなくいくらでも複製できてしまうコピーのフィルムを燃やしていることが「遊び」のように思えてしまう。政治的な事件をちょっと最後に茶化した作品ですね。

もっと見たい方はこちら
http://www.francisalys.com/

アートを勉強して気付いた事

今更ながら、このブログを始めたきっかけなんかをたらたら書きます。
私がはじめてアメリカの現代アートの授業をとったとき、「この人たち、英語じゃないなんかの言語でしゃべっているのか?」というくらい意味不明でした。聞こえてくるのは英単語なのに、まるでしゃべっている内容がわからない。意味不明な絵を見ながら「あーでもない」「こーでもない」と長々と議論しており、「この人たち、私には見えない何かを見ているんじゃないか、、?」っとおもいながら絵とにらめっこしていました。でもいくら抽象的な絵画とにらめっこしところで何も分からないし、見えてこないし、いいとも思わない。

現代アートはひとつの言語のようなもの。どの学問の分野にも言える事ですが、その学問の言語(基礎知識)を学ばないと一般の人からみたらチンプンカンプンで、現代アートもその例外ではない。ただその言語さえ学んでしまえば、会話にはいれるようになります。しばらく現代アートを勉強したり、見たりしていると、それとなく作品が何を言っているのか不思議と読み取れるようになるのです(全部じゃない)。英語を勉強して、ある日映画館にいって字幕なしでもハリウッド映画が理解できるようになったみたいに。はじめて海外に行って、自分にとっての「普通」「あたりまえ」「事実」が世界共通の事実じゃないとわかったときのように、現代アートを勉強してから世界の見方が変わりました。

現代アートを勉強して気付いた事がいくつかあります。ひとつは、今の現代アートの世界では美しさは作品のすばらしさや価値と直接結びつかないことです。むしろ世間一般の言うただ「美しい」だけの作品を作るのは簡単だ、という認識があるように思います。「美しさ」を追求するのは芸術ではなくてデザインの領域になってしまったのかもしれません。もう一つは、作品としての質の良さと、それが好きか嫌いかというのは、別だということもわかってきました。「この作品あんまり好みじゃないけど、かしこいし評価される理由もわかる」という風に好みだけに左右されない物の分析力を身につけることができました。逆に「この作品の見た目は好みなんだけど、、、内容がないから好きじゃないなぁ」って思う事もあります。

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Mark Rothko, "Grey and Orange", 1960.

ものすごい高額のマークロスコ(Rothko)の絵画が売っていたとします。そんなの誰でもかけるし色が地味だし好きじゃない、と思ったとします。(ちなみに私はロスコが作品によりますが、結構好きです)でも、高額で取引される理由と人の好みはほとんど関係ないんです。個人的な意見ですが、「好き」か「嫌い」で物事を決めていたら、人は「慣れた」ものを選びやすいのでいつまでたっても似たような作品ばっかり誕生してしまってつまらない。ロスコのカラーフィールドペインティングを発表したのは1960年代。技術や3次元の再現をすべて捨て、新しい表現方法を登場させて、その後のアート界の方向性をいかに左右してきたか、ということかが評価されているからこそその値段がついているのだと思います。今でこそ平面的な絵画は増えて、そういう絵画も好きという人も増えてきましたが、そもそもロスコや他の1960年代に活躍した抽象表現主義のアーティストがそういう表現を促進してこなかったら、今「リアルな絵画と抽象的な絵画どっちが好き?」という質問さえもでてこなかったのかもしれない。それまで存在しなかった選択肢を良しとする感覚、新しい感覚を作り出すことはすごいことじゃないでしょうか。

一見ゴミに見えるようなアートかもしれないですが、どっかの誰かが時間と材料費を欠けて誠心誠意をこめて売れないのに、自分が「いい!」と思ったものを作っていることを思い浮かべてみましょう。残念ながら、ただ有名になりたいだけ、お金を作りたいだけ、観覧者を怒らせたいだけ、のアーティストももちろんいます。でもその人たちは少数です。ほとんどのアーティストは全然作品売れないですし、誰にも評価されないかもしれないのに作品作っている訳です。本気で現代アートが好きで、現代アートに何か信じる物があってアーティストやっている人がほとんどだと思うので、すぐに嫌いだと思わずちょっとわかろうとしてみてくれたら、作っている側の人間として嬉しいです。

私も現代アートで死ぬほど嫌いな作品もあります。アート界のトレンドが気に食わないときも多いです。本気でも気持ち悪いと思ったり、本気で怒りたくなる作品もあります。でも、まぁまぁ、まぁ好きでも嫌いでもない、まぁいいんじゃない?程度の中途半端な物がこの世の中で溢れる中、本気で好き!とか本気で嫌い!って思わせてくれるアートが私は好きです//毎日同じ事の繰り返しで何も感じない毎日の中で、プラスの感情もマイナスの感情も与えてくれる。特にマイナスの感情を感じる機会ってどんどん減っていっている気がするので、アートは私を怒らせたり気持ち悪くさせたりうつな気分にさせたり訳が分からなくて混乱させてくれる貴重な物です。物事の価値が有益か無益か、理論的かどうかで善し悪し判断される事が多いけれど、それだけじゃ計れない価値もあると思います。経済的には無益で、理論的に考えてただ時間と材料の無駄でも、アートだけじゃなくて、演劇も、音楽も、映画も文学も、ゲームも、アニメも、マンガも、感情に訴えかけて夢中にさせてくれるものはすごく大事!その感情に一番リアルに訴えかけてくれるものが私の場合たまたま現代アートだっただけで、それが他の分野より難しいとか優れているとか、そういうことをいいたいわけじゃないです。

現代アートが嫌い!詐欺じゃないの?と思っていた頃の気持ちを忘れずに、現代アートのおもしろさを伝えられたらいいなと思います。解説ではなく、読書感想文ならぬ観覧感想文です。最初の方の記事は、正直まだよくわかってない頃に、一生懸命調べまくって書いた記事なので読まれると恥ずかしいです//一応残しておきますが、今とは意見が変わっていたりもします。いつも読んでくれてありがとう。

The Other(アザーの概念)

どうもお久しぶりです。非常勤講師の仕事もようやく慣れてきました。
でもそれだけではちょっと生活できないので、仕事を探しにニューヨークに引越してみました。誰か仕事あったら紹介して下さい(真顔)

今日はOther(アザー)という概念にまつわる他の概念とその問題点について簡単に描きます。正直、知識が曖昧なので「あぁこういうコンセプトもあるんだ」という風に捉えて下さい。

Orientalism(オリエンタリズム)
オリエンタリズムという単語はエドワード・サイードの本で有名になりました。簡単にいうと、西洋以外の国、アジア、アフリカ、中東の国を文学や美術の中で讃える動きです。19世紀になると西洋の各国でで帝国主義が広がります。帝国主義国が植民地を増やす際、記録を残すため画家や物書きををつれていったそうです。ドラクロワもその一人で、アルジェリアを征服した時そこにいたハーレムの愛人達を描きました。ドラクロワはアルジェリアの色鮮やかさに惹き付けられたと日記に書いています。

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Eugène Delacroix, “The Women of Algiers,”1834.

当然ですが、支配国という強い立場を利用できるからこそ、こういう絵もかかれるわけなので、あまり気持ちのいい事ではありません。こういった絵画は多くの場合、西洋にとって都合の良い理想化をした姿をかいていて、現状からかけ離れた姿を描く事が多いのです。まぁ実際自分たちが征服した事実はこの絵からは読み取れませんね!(^^)
オリエンタリズムの根本には、西洋の文化はその他の文化より発達しているという考えがあります。「アルジェリアのハーレムの女性はエキゾチックで素敵だ!」と言っていても、文明的には西洋に勝ることはないと密かに思っています。常に上から目線の褒め言葉なのです。あれです、女性同士でよくある「可愛い!(私には負けるけど)」って言い合ってる感じです。え?違うって(^^)?

Primitivism(原始主義)
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Paublo Picasso"Les Demoiselles d'Avignon", 1907.

上はピカソの「アヴィニヨンの娘達」ですね。ピカソがアフリカのマスクや彫刻を研究したことがキュビズム誕生の鍵になりました。
さて原始主義とは。その名の通り原始時代にもどろう!原始時代はすばらしい!もう現代社会は疲れた!現代社会は汚れきっている!原始時代こそ本来の人間のあるべき姿なんだ!原始時代はピュアだ!自然と一体化するのだ!もっとシンプルの生き方がしたいのだ!という考え方です。疲れたサラリーマンが、「このプロジェクトがおわったら田舎でパン屋を開くんや、、、」といってる感じです。19世紀のヨーロッパぼ現代人も、都会を離れて自然に囲まれながら畑を耕してシンプルに行きたいと考えていたのです。実際は原始時代には原始時代の大変さがありますし、田舎は田舎の大変さがあるのにね!問題なのは、この「原始」を指しているのが、いわゆる発展途上国(未開発国)のことをいっている場合が多く、そういった国を褒めているようで、用はそういった国の文化は自分たちと比べて「未発達」で「未熟」だと言っているのでいいことではないです。19世紀こうした「原始的」な文化からアートのインスピレーションを探す動きが広まります。他の文化の理解を深める事は良い事なのですが、勝手にその文化を「原始的」と決めつけ、そこの現地の人を「原始人」と同じにするのはいかがな物でしょうね。

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Paul Gauguin "The Spectre Watches Her", 1892.

こちらはゴッホと、一時期共同生活していた事でも知られるゴーギャンの作品。ゴーギャンも現代社会に疲れ、「汚されて」いない楽園を求めてタヒチ島でくらすことになります。そこで現地の女性達を色鮮やかな絵の具を使って描きます。ゴーギャンとしては、タヒチ島の風景や女性の美しさを絵を通してヨーロッパの人に伝える事で、タヒチ島の文化を守っていると考えていたようです。しかし、ゴーギャンはタヒチ島で愛人をたくさん作っていたらしいのです(中には13歳の愛人もいたとかいないとか)。無自覚でしょうが、ゴーギャンも「白人」という優位な立場を利用していたんですね〜。タヒチ島は、支配国出身者の立場を利用して植民地を眺めた場合のみ、楽園だったんですね〜。

Exoticism(エキゾシチム)
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Claude Monet "La Japonaise", 1876.

エキゾシチムとは一言で言うと「見慣れないものがもつ魅力」です。個人的にそれよりもしっくりくる定義はAlden Jones の"the representation of one culture for consumption by another”(一つの文化が他の文化を消費(利用)するために作られたイメージ)。海外の物ってどうしても魅力的に見えますよね?それは普段の生活ではあまり見る事がないからです。でも自分の国の物が勝手に他の国に変な風に使われていたらイラッとしたりもしますよね。

Other
これらの三つの概念は互いに密接絡み合っており、これら三つの根本にあるのが「Other」という概念だと思います。「その他」や「私たちと違うもの」、つまり「自分たち」と対比した単語になります。オリエンタリズムでは「西洋の人」と「西洋以外の人」、原始主義では「現代人」と「原始人」、エキゾシチムでは「自分の国のもの」と「外国の物」という風に、「自分たち」と「Other(違う人たち)」という風に区別しています。日本でいうと、日本人以外の人を「外人」と呼ぶのと似たようなかんじ?「Other」は「自分たch」というものがなんなのか、ということを定義するのに役立ちます。自分がそう「じゃない」ことが分かれば、そう「である」ことが分かります。
しかし、今まで見てきた3つの概念の例からみてもわかるように、「Other」だと認定した人は自分よりも「下」だと思いがちなのです。自分が誰かに劣っているなんて誰も思いたくないですもんね!

アートの世界では「Other」というテーマでいろんなアーティストが作品を作っています。現代社会だと「Other」の中には、外国の人以外にも、女性、人種的マイノリティー、セクシャルマイノリティー、マイナー宗教に所属している人なども入るかもしれません。アート史の中でヘトロセクシャルの白人男性以外は、近年までみんな除外されてきたので自分のアイデンテティを主張する価値があるのです。この偏見はまちがってるぞ!っていう風に。「Other」っぽさを除外しようとしているんですね〜。アメリカという多人種、他宗教国家だからこそ、ホットなテーマというのもあるでしょうね。

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Wangechi Mutu "Mask", 2006.

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Wangechi Mutu "Uterine Catarrh", 2004.

上はケニヤ出身のWangechi Mutuのコラージュ作品。ファッション雑誌の切り抜きやアフリカ彫刻をコラージュする事で、アメリカにおいての「アフリカ系アメリカ人女性」像というものはなにか、について考えさせます。どこかのCMにつかわれそうな典型的セクシーさをもつアフリカ系女性の写真と、美術館で飾られるような古代文化のアフリカ芸術をあわせたシンプルなコラージュ。一般の「アフリカ系」のイメージなんてこんな物ですよね(^^)でも「アフリカ」なんて国は存在しませんし、たくさんの国が集まった大陸であるのにも関わらず、私たちの中になぜか一つの「アフリカ系」という空想のイメージができあがちゃっていますよね。この2つのイメージが無理矢理切り貼りされた感じが、ステレオタイプにはめ込まれることの残酷さや窮屈さを感じとることができます。
殆どの人がもつ「Other」のイメージもテレビ、雑誌、広告、ニュース、ハリウッド映画や、他の断片的な知識をコラージュして作り上げたイメージのようなものですよね(`・ω・´)キリッ白人だからってみんな英語しゃべるわけじゃないし、金髪で青い目な訳でもないし、日本人だからってみんなおとなしい訳でもないし、ゲイだからって女言葉使う訳じゃないし、宗教やっているからって怖い人ってわけじゃないし。自分とは違うって思っている人と一対一でしゃべってみると以外と「あぁ普通だ」「あんま自分と違わないんだ」って思える物です。自分に取って普通の事が普通の事のように、自分から見たら変な物は相手に取っては普通。時代が進むにつれて少しずつ「私たち」と「その他の人たち(Other)」の境界線がなくなっているんだね。

あと、ちょっと前にツィッターで「セルフオリエンタリズム」という単語を目にして、なるほどおもしろい、と思ったので今日はこんなテーマになりました。西洋の人に受けがいいように外国っぽさ。「Other」ぽっさを強調して自分売り出すことが「セルフオリエンタリズム」らしいです。

なんとなく「Other」という概念が伝えられたら嬉しいです。説明下手でごめんね!
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